パジェロのライバルはパジェロ
安倍武利
―― 市場の変化
1980年代はライフスタイルの多様化により、それまでセダン主流であったファミリーカー市場は様変わりした。ユーザーはセダンに拘る事なく、より多目的にレジャーを楽しむため、森林組合御用達のオフロード車や商用のライトバン、1BOXバンなどを求める人が増えていった。1982年に発売された初代パジェロも当初は4ナンバーの商用車であったが、そうしたニーズを他車に先駆けて取り入れ、その後5ナンバー車、4ドアのロングボディを追加し、ターボエンジン、AT、本革仕様等々、いっそう乗用車的味付けの商品力強化を図っていった。またパリ・ダカールラリーでの華々しい活躍もあり、パジェロ人気は不動のものとなっていた。

1985年 パリ・ダカールラリー優勝車
初代が作り上げたと言っても過言でないRVブームを背景に、4年を経てもなお高い販売台数をキープしていた1986年ごろ、2代目パジェロの開発は始まった。日産サファリやトヨタ・ハイラックスサーフ、トヨタ・ランドクルーザーワゴン、いすゞビッグホーンなどの競合他車も商品力強化を図る中、市場ニーズを分析すると、4WD車としてさらなる高速性能や快適性の向上など一層の進化が必要と考えられ、基本レイアウトから見直して、その成功を先へと繋げる必要があった。

日産サファリ トヨタ・ハイラックス・サーフ

トヨタ・ランドクルーザー・ワゴン いすゞビッグホーン
―― 次期車としての方向性
2代目は都市部での快適性とアウトドアやオフロードでの機動性をより高い次元で両立させたオールラウンダーRVと呼べる方向が考えられた。その基本レイアウトは、ホイールベースを長く、トレッドを広げ、一方全高は50mm低くして、ロー&ワイドのよりスマートなプロポーションで乗り心地と高速安定性の向上を狙ったものだった。しかしアイポイントは30mmダウンにとどめ、視界を確保。これは、篠塚建次郎氏の「ラリーでは視界確保が命」との意見が重視されたからだ。
― コンセプトステージでの模索
開発当初、エクステリアデザインを担当したのは私と憲ちゃんこと山本憲の2名だけだった。それは、当時社内ではまだ「主力車種はセダン」との意識が強く、トップの4WD車に対する関心が低かったせいもあると思う。
上司の大島チーフデザイナーから「自由に発想していいよ」と、ある意味放任主義的に進め方を任せていただき、我々はスタジオにパジェロコーナーを設け、アウトドアグッズを展示したり、アウトドア好きの仲間の意見を書き込めるパネルを設置。さらに周りのデザイナーを巻き込んだ議論を行うなど少しでも多くのアイデアを吸収しようと務めた。その結果、「これだ!」と思えるデザインコンセプトに辿り着いた。それが「究極のオールマイティ4WD」だった。さらにこの基本コンセプトを3つのキーワード「剛」「融」「楽」の方向性にブレークダウンし、先ずは幅広く可能性を探ることにした。
「剛」:オフロードを本気になって走り回るハード&ワイルドな本格派
「融」:自然と融合して楽しむ知性派。中世ヨーロッパ貴族の趣味的ハンティングの世界観
「楽」:アウトドアに音楽やゲームを持ち込むレジャー派。カリフォルニアビーチで遊ぶ若者
この3つのイメージキーワードを元に様々なスケッチを展開した上で各々を1案ずつに絞り込み、1/4モデル制作作業に移行した。剛案は私、融案と楽案は憲ちゃんが担当した(第1次モデル)。実はこの時、私はテニスでアキレス腱を切って1ケ月入院したのだが、その間憲ちゃんは、病院での打ち合わせを元に作業を滞りなく進めてくれて事なきを得、頼りになる相棒だと実感した。

「剛」案 安倍武利

「融」案 山本 憲

「楽」案 山本 憲
モデル完成後に関係者を集めてサーベイを行ったが、総合評価では各案とも初代を超える事は出来なかった。自分たちのデザインにそれなりの自信を持っていただけに2人ともショックを受け、初代にはまだ十分商品力があるとの認識が強い事を痛感。「パジェロのライバルはパジェロ」だった。
―― 再度の1/4モデルを経て1/1へ
これでは次の1/1モデルに進む事は出来ず、再度1/4モデルに取り組むことになった。「剛」と「融」は、初代には及ばなかったものの、イメージを形にした第一段階としては可能性があると判断し、さらに磨きをかけることとした。一方最も評価の低かった「楽」はドロップし、代わりに「剛」+「融」のミックス案を新たに作ることにした。その案は我々とは違う発想を期待して、新たに岩田正史さんにお願いすることとなった。

第2次「剛」案

第2次「融」案

「剛+融」案
これまではイメージの追求を重視していたが、サーベイの結果を受けて、次はそれに加えて商品としての訴求力を高める必要があった。私は自分の担当する「剛」案に、4WDとしての力強さの表現で磨きをかけ、一方の憲ちゃんは、「融」案に初代からの進化を印象付けるフロント周りデザインを盛り込むことにした。モデルが完成し、第1次モデルも含めてサーベイを行ったところ、第2次の「剛」「融」が共に好評価で、初代パジェロを超える総合評価を得、これで一歩前進したと確信した。
さらに自信を得たのは、サーベイ直後の後片付けの時に「融」モデルの前に小さい紙切れを発見。それには走り書きで「このモデルが良い」とあり、「中村」というサイン。中村裕一開発本部長からの心強いメッセージだった。
その後、「剛」と「融」をベースに各々1/1モデルへと移行することが部内で決まり、新たに2人の応援を得て体制を整えることができた。1/1モデルでは、初代のデザインイメージの継承を意識しつつ、両案の細部にわたるデザインの作り込みを進めていった。

―― サイプレススタジオからの提案
次のステージでは我々岡崎スタジオの2案と別途同時進行していたアメリカのサイプレススタジオからの提案を含めた3案でのコンペとなった。先方の担当はジェフ・ティーグさんで、すでにその準備を進めており、程なくしてアメリカから到着したモデルに私たちは目を見張った。それは従来のRVとは違った高い質感と佇まいがあり、アメリカ人がパジェロ次期車をデザインしたらこうなるのかと感心させられた。

サイプレス案 ジェフ・ティーグ氏

サイプレス案 1/1モデル
―― 方向付け
一方我々のモデルも完成し、社内サーベイを行った結果、3案共に高いレベルの総合評価を得た。トップによる検討会でも同様の評価で、この時点で剛・融は1案にまとめ、サイプレス案と共に更なるデザインリファインをせよとの指示が下った。

「剛」案 1/1モデル

「融」案 1/1モデル
最終ステージでは、岡崎案は初代からの正常進化、サイプレス案は新しいRVとしての方向性が各々高く評価され、デザイン検討会の場ではパジェロの進化形としてあるべき姿が重視されて我々の案が採用された。ここに至るまで様々な方向が検討されたが、やはり「パジェロ(2代目)のライバルはパジェロ(初代)」だった。

採用となった岡崎案モデル

サイプレス案モデル
― デザインの仕上げ
その後の生産に向けた作業では、ノーズとウインドシールドを少し寝かせ、ボクシーなイメージを抑えるチューニングをおこなった。またショートではインナードリップを採用してフラッシュサーフェース化するなど、様々な空力性能の向上を図り高速走行に適したデザインとした。また当初は全高を下げることに不安を感じていたが、その後アメリカでは重心の高い車の横転事故が問題視され、低重心化はトレンドに沿ったものだと納得することができた。


ロングのヘッドランプは初代より一歩進めてフラッシュな異形角ランプとしたが、普通のデザインには絶対したくなかった。当時パリダカ出場車が直径220mmもあるヘラー製丸ランプをノーズの奥に収めていたのがカッコ良かったので、異形角ランプの奥に大径の丸ランプが覗くイメージのリフレクターデザインにした。一方でショートは発展途上国でも入手が容易な規格型丸2灯ランプ装着が前提であったのだが、最初に設定した異形角ランプと同じフロントの開口に収めるのに苦心した。

2代目の特長の一つは、はね石からボディを守るサイドガーニッシュで、オーバーフェンダー装着の上級仕様ではガーニッシュとオーバーフェンダーを一体化し、バンパーを含めてボディを2トーンフィニッシュにしたことだ。前例のないこの処理は、その後他社RV車も追随しているので、実用新案を申請しておかなかったのが悔やまれる。

オーバーフェンダー仕様車
この頃、パリダカ向けのプロトタイプのデザイン依頼も飛び込んで来て、一時期憲ちゃんと私は両方の仕事を平行して取り進め、猛烈な忙しさであったが、ツーといえばカーの間柄でこの難局を乗り切ることができた。
世間一般には「ヒットした車のイメージを踏襲した次のデザインは成功した試しが無い」と言うジンクスがある。実際このデザインを進めている最中にも周囲から「2代目は大丈夫か?」と真顔で問われることが度々あり、私たちデザイナーのみならず関係者は、初代が成功していただけに2代目で失敗できないというプレッシャーを感じ、悲壮感さえ抱いていた。そこで我々は、モデルの写真を携えて世界各地を訪れ、デザイン評価の検証を入念に行い、ようやく少し自信を持つことができた。
― 最後に
1991年1月、約5年の開発期間を経て2代目パジェロは満を持しての発売となり、全世界で好評を博し、初代を大きく上回る生涯販売台数(8年7ケ月で115万台)を記録。国内では、今思えば異常とさえいえるRVブームの中心的存在となり、乗用車を抜いて新車月間販売台数1位まで獲得したことは空前絶後の出来事だった。2代目パジェロは三菱自動車の代名詞ともいえる存在となり、私たちはその開発の一翼を担えたことがとても嬉しかった。初めは様々な方向を模索したデザイン開発であったが、単なる初代のイメージの踏襲ではなく、その強みと弱みをしっかりと踏まえて進化させた事が成功に結びついたのではないかと思う。そして何より、チームメイトや相棒憲ちゃんとのハードワークの日々は素晴らしい思い出となったのである。

2025年7月
進化したオフロード車インテリア
岩田正史
―― かつて無い規模の国内外での市場調査
2代目パジェロの開発が始まった1986年秋、初代は発売からすでに4年経っていたが、売れ行きは衰える様子もなく好調であった。そのため、まずは十分な市場調査を行い、その分析を踏まえた上で2代目の構想をしっかり練ることとなり、ユーザーニーズ、市場性、技術動向などを把握するため、それまでになく国内外で様々な市場調査や試乗会などが行われた。私たちデザイナーも他部門の担当者と共にそうした活動に積極的に参加した。そんなことから、日々スタジオにこもり業務に明け暮れる他車種のデザイナーたちからは、「何か随分と楽しそうなことをしているね」と皮肉られてしまった。
―― 調査結果と基本構想
海外での調査は欧州、中東、北米、東南アジアなど世界各地で行なわれたのだが、私はノルウェー、スイス、ドイツに行き、参考車を試乗して道路事情を体感すると共に、オフロード車利用の実態の見学、ジャーナリストからの意見聴取、さらにはディーラーの調査なども行なった。
欧州で初代パジェロは、ゲレンデバーゲンやレンジローバー等と比較しても遜色のない性能と機能的で良くまとまったデザイン、さらには手ごろな価格設定により高評価であったが、特に印象的だったのはショートモデルが富裕層の「セカンドカー」として大いに人気があったことである。

ノルウェー・オスロ郊外での試乗

ドイツ・シュツットガルトでのジャーナリストへのインタビュー
国内では、各地のオフロード車愛好者たちから使用状況やドレスアップする楽しさなどを聞く事ができた。パジェロユーザーたちからの意見聴取では、性能や使い勝手を中心とする話は色々とあったが、ことデザインに関してはほとんど話がなく、こちらから意見を求めれば「デザイン? 特に不満はないし、次期車であまり大きく変えてほしくはないなぁ」と、デザイナーにしてみれば拍子抜けするような答えが返ってきた。それだけ初代のデザインは評価されていると感じたと同時に、ユーザーが自分の車のデザインに肯定的なのは当然であり、それを将来どうするかはこちらが考えなくてはならないことだと認識した。また一方で、乗用車から乗り換えたユーザーやこれから購入を検討する人達からは、オフロード車であっても上質感を求める声が数多く聞かれた。当時盛り上がるRV(Recreational Vehicle)ブームの中で競合他車も上質感を向上させて来ており、私たちは2代目で更にその上を狙わなければならないと実感した。

乗鞍高原での試乗
国内外での幅広い調査の結果、2代目の基本的構想としては、内外装デザインの一新による品質感の向上、様々な走行条件での4WD技術の進化、オフロードと高速での安全性/快適性の向上、ボディバリエーションの一層の充実などがあげられ、全世界の市場の様々なニーズにきめ細かく対応したものへと展開された。
―― インテリアのデザインコンセプト
2代目パジェロのデザインを統括する大島チーフデザイナーの下で、私たちインテリアチームは、デザインの基本コンセプトを「乗用車に劣らない上質感とRVとしての機能の融合」とした。初代は、当初の計画台数が少なかったので、生産に必要な設備投資できるだけ抑えるため、例えばインパネのコアを樹脂ではなく塩ビ鋼板、ドアトリムは成形品ではなく平ボード、ステアリングホイール等の小物部品は既存車種のものを流用、バンパーはプレス成型ではなく折り曲げ加工にするなど、極力設備投資を切り詰めていた。ところが予測を大きく超える売れ行きのおかげで、マイナーチェンジで上級仕様を次々と追加して更に売り上げを伸ばしたのは良かったが、いかんせん基本は実用車的な造りであったため、工夫も限界に来ていた。そこで幹部は、RV市場が大きく拡大している状況を踏まえ、2代目は上級乗用車並みの品質とする投資をすべきと判断した。
―― スケッチからモデル製作へ
いよいよスケッチ作業が始まることになったのだが、私はこの時チームの主任の立場で、担当していたデリカや初代パジェロのマイナーチェンジのCMF(色:Color、素材:Material、表面加工:Finish)開発から手が離せず、やむを得ずスケッチは4人のチームメンバーに委ねることにした。

デザイン部内での検討
メンバーが描いた様々なスケッチの中からデザイン部内の検討会で2案が選ばれ、先ずはザックリとしたイメージを検討するため第一次のモデルを製作した。A案は河野博義さんの案で、オフロード車にありがちな実用一辺倒なイメージを払拭し、機能的でありながらもスマートで立体感のあるデザイン。B案は関連デザイン会社から応援にきていた和田祥治さんの案で、初代の機能的で直線基調のイメージを踏襲したデザインだった。両モデルを部内で比較検討した結果、A案の方が高評価だったが、初代のイメージを受け継いだB案も捨てがたく、両案とも更にリファインを進めることになった。


河野博義氏(左)と和田祥治氏(右)

第一次のA案モデル

第一次のB案モデル
次のステージでは木型でディテールまで作り込んだモデルを製作。A案は当初、初代で好評の傾斜計をメータークラスターの中に組みこんでスッキリと見せていたが、これを初代と同様に3連メーターとしてインパネ中央に配置。さらにメーター類、アシストグリップ、操作系部品などを時間をかけて吟味し、オフロード車としての雰囲気や上質感をアップ。一方のB案は特徴的なメーターフード両脇のサテライトスイッチの処理をリファインすると同時に、これも上質感に一層の磨きをかけた。
両案が幹部によって審議された結果、A案が採用となった。私自身も、河野さんの案は当初のコンセプト「乗用車に劣らない上質感とRVとしての機能の融合」をうまく具現化し、初代から一歩進化させたデザインだと納得がいった。

第二次のA案モデル

第二次のB案モデル
その後この案を次の承認段階に向けてまとめていく中で、私は企画/計画、設計、実験などの関連部門との調整に奔走した。特にインテリアの実用性を評価する実験部門からは、メーターやスイッチなどの視認性や操作性で幾度となく駄目出しをされ、なかでもハザードスイッチやパワーウインドウスイッチのレイアウトをデザイン優先でまとめたところは見透かされてしまった。その見栄えと実用性を両立させるのには苦労し、限られた日程の中でギリギリまで詰めを行なったが、その分レベルの高いものになったと思う。

承認を得たインテリアモデル
―― シートや便利アイテムなどのデザイン
ここで私が担当したシートのデザインについてふれておきたい。まずショートモデルとロングモデルで各々の性格に合わせてデザインを分けた。ショートは、縫製ラインを極力省いたスポーティなデザインで、当初は成形シートを目論んだがコストで断念し、伸縮性の高いニット生地採用で当初の狙いに近づけた。またショート幌仕様のJ-Topでは、機能性をアピールするため撥水生地を選定した。ロングは、標準仕様では中央部と脇部で異なる生地使いで立体感のあるデザインとし、上級仕様のエクシードは本革シートで中央部にはギャザーを施し、ひと手間かけた高級感を演出した。

ショートモデルのシート

ロングモデルの標準シート(左)とエクシード仕様のシート(右)
また私は、オフロード車ユーザーの心をくすぐる便利アイテムとして、インスペクションランプとツールボックスをデザイン。インスペクションランプは夜間のちょっとした作業の助けとなるもので、マグネットでボディの好きな位置に取付けられるものだ。ツールボックスは、工具類をバックドアに見栄えよく収めたもので、いざ使う時に荷物を取り出す手間が省けるというアイデアだ。これらは当時人気のあった雑誌「MONOマガジン」に触発されて様々なアイデアを検討した結果だった。発売してみると、初代の3連メーターほど大きな注目を浴びなかったのは残念であったが、デザイナーとしてはけっこう楽しく仕事をした思い出がある。
その他には、車体色、内装色、シート生地等で車の見栄えと品質感の仕上げとなるCMF開発をとりまとめ、2代目としての進化を視覚や触覚で実現することに努め、これも達成感のある仕事だった。


―― 日本車の黄金期と国内のRVブームの勢いに乗る
2代目パジェロは日本のバブル期に計画され、発売されたのはバブル崩壊後であったにもかかわらず、初代の成功を受け継ぐとともに、当時の日本車の黄金期と国内のRVブームの勢いに乗り、オフロード車として全世界で大きな成功を収めた。後にメディアでその成功について語られたなかで、「パジェロはユーザーが何を求めているかを的確につかんでいたクルマ」と評価されたことは、かつて無いほどの市場調査と競合他車の試乗を踏まえ、ユーザーニーズをデザインや設計に落とし込んでいったことが功を奏したといえるだろう。
デザイン承認モデルが完成し、幹部の承認を得た時点で、私は突如他の新規プロジェクトへと異動となり、その後の量産に向けた仕上げの業務に関われなかったことは心残りであった。しかしこの2代目パジェロの開発で、インテリアデザイン、CMF開発などで関連部門と濃密なやりとりを経験したことは、自身のスキルアップと自信につながり、その後の様々な機種のデザイン開発に活かすことが出来たと思う。

イメージ画像
2025年12月