端正な面構成と空力サーフェス

中川多喜夫


―― 突然の指示であった

2代目ギャランシグマのデザイン作業が完了間近の時であった。突然、世界戦略車トレディア、コルディアの開発指示がやってきた。急遽担当グループの組み換えが行われ、新しいグループ編成が行われた。全くの新規開発車であるにも関わらず、デザイン開発日程は通常に比べてワンステージ短く、スタッフは非常に困惑した。この時三菱はミラージュでFF化を始めた時期で、トレディア、コルディアは上級FF車であり、ランサー(FR車)とは同列に当たる。パッケージは小さくなく、大きくなく、ちょうどよい、誰でもが使いやすいサイズで、世界でも標準的なコンパクトクラスである。

トレディアイメージ

大熊栄一氏のイメージスケッチ

―― まず初めに伊豆でデザイン合宿

それまでにない試みだったが、開発の現場から離れた伊豆の宿で、セダン担当とクーペ担当の2組での合宿を行った。これはリラックスした環境で自由な発想のブレインストーミングを行い、コンセプトの模索とグループの意思統一を図るのが狙いであった。合宿の結果、オーバーデザインにならず、装飾的にならず、シンプルで飽きの来ない自然体で、環境にやさしいことが大切、とのデザインコンセプトがまとまった。

――スタジオに戻り

合宿での成果を念頭に置いてセダンとクーペの2班に分かれ、夏の暑い中、アイディアスケッチを夢中で描いた。その後、コンセプトに基づきセレクトし、セダン4案とクーペ3案のレンダリングを作成した。私が担当したトレディアは、基調は飽きの来ない端正な面造形、シンプルなフロント造形、スムーズな空力サーフェスとして、伝統的なノッチバックスタイルとした。特にフロントデザインは、グルリは凝らずシンプルで端正な風格を持たせたデザイン。リヤホイールカット上縁を低くして空力効果をもたせ、シャープでスッキリしたサイドビューとした。

筆者のレンダリング

小林信一氏のレンダリング

石井成久氏のレンダリング

大熊栄一氏のレンダリング

―― プレゼンテーションの日を迎えた

デザインプレゼンテーションは非常に緊張する。会議室には久保会長を始めとして幹部らが列席。セダンとクーペ、合わせて8案のレンダリングのプレゼンテーションは出来栄え良く、自信のあるものであった。会長は直感が鋭く、単刀直入であり、方向付けされるときは「ダメ」か「良い」か、ハッキリ判断される。デザイン説明の後、会長は提案レンダリングの前を一回りして判断を示された。詳細の説明はされず、私の提案のセダンと横山主務提案のクーペが選択された。ダメ出しなく、一発でデザインの方向付けができたことは当時では稀なことであった。


―― イタリアデザイナーとのコンペティションに終止符

デザインの方向付けが終わった後、会長から「イタリアデザイナーとのデザインコンペティションは目的を終えたので止めよう!」との言葉があり、不思議に安堵するものがあった。常に付きまとっていたプレッシャーから解き放された気持ちと、強力なライバルが消え、残念な気持ちもあった。デザインに関しては自分たちで判断することに意義が生まれると示唆されたのだと思った。今まで幹部から競作を指示されていたことは、我々の力量不足と反省。但し競作を否定する訳ではない。


―― 難航する1/1デザイン作業

レンダリングから実寸に置き換えての1/1デザイン作業は、経験豊富な小林信一主任の下、石井成久、大熊栄一ら3名のチームで進められた。デザインイメージを壊さずに設計要件を包含しながら1/1テーピング図面へと進む。最も難航するのはモデル製作であり、ここでの集中的なデザインの玉成が勝負となる。パッケージング、アスペクトレシオ、プロポーション、サーフェス処理、設計要件などを繰り返し確認する。幾度となくリファインを重ね、デザインの完成度を高めて行くこのステージで、トレディアのデザインはデザイナーのイメージから現実の車へと近づいた。

トレディアのクレイモデル

モデラーの力はデザインのクオリティを大いに左右する。クレイモデルの細部に至る作り込みから、塗装を経て最後の艤装部品の取り付けに至るまで、モデラ―の技能が物を言い、実車そのままのイメージが醸し出される。素晴らしいモデルが出来上がったことについて、モデラ―の皆さんには大変に感謝している。

スタジオ風景

モデル作業

―― 風洞試験も重要な課題

1/5モデルでの風洞試験は、大熊君が彼と同期で風洞試験主担当の郡逸平(こおりいつへい)君らと行った。空力性能として最適な形状を求めてモデルに粘土を盛ったり削ったりしながら、その都度空気抵抗と揚力を計測して行く作業だ。フロントフェンダー、リヤクォーター、キャビンなど各部位の絞り込みや角R、さらにはリヤウインドウの傾斜、前後バンパーの下端高さなどを少しずつ変更しては、試験を繰り返す。その結果をスタジオで作製中のクレイモデルに盛り込もうとするものの、狙いとするデザインイメージとの兼ね合いで、反映できないことも多いのは致し方ないことであった。

1/5モデルでの風洞試験でエアロカバーの効果を確認

―― さらなる空力処理の追求

大まかにエクステリア形状の空力特性が把握できてから、更に空力性能を上げるには、大きな抵抗であるエンジンルーム下部の乱流の影響を低減する必要があり、いくつか方策を試みた。初めはバンパー下部にエアダムをつけてエンジンルームへの空気の流れを強制的にカットする方策を試みたが、最終的にはバンパー下部からエンジンルームまで覆うエアロカバーを装着。これは非常に効果があった。これに併せて、フロアーの下面をスムーズにすることも効果があることが分かった。(その点FR車よりFF車が有利。)その他、ドアサッシュとガラスの段差を極力少なくしての風切り音対策や、ドアミラー後部のサイドウインドウの汚れ対策も行った。

またシグマのデザインでも採用した処理であるが、サイドラインをリヤまで連続させ、リヤホイールカット上縁を低くして、タイヤ上部を隠し空気抵抗を軽減。これによってスムーズで伸びやかなデザインとした。しかしこの処理では、通常タイヤは内側に入らざるを得ないが、ホイールカットのフランジをクリンチ加工することで、それを避けることが出来た。

風洞試験を元に空力を改良した結果のまとめ

―― 試作車の試乗は色々なことが見えてくる

一般的には生産の確認、設計の確認、走りの確認、品質の確認と色々とあるが、走行試験に立ち会うことは、デザイナーとっていろいろなことが見えてくる貴重な経験となる。走る姿は大切で、街並み、路上の立ち姿のフィット性、走行安定感など・・・。またテスト隊との北海道雪上運転試験は、自ら運転することにより問題点の把握、積雪の速さ、視界が白の雪一色になった時の対処、一方、氷上のハンドル操作など、都会ではできないことを学ぶことが大きい。

最終デザインのFRPモデル

―― むすびとして

急なスタートではあったが、伊豆合宿で作り上げたコンセプトを基にデザインプロセスは非常にスムーズに進み、モデル製作数も少なく、また大きな技術的な問題もなく開発が終わり、発売となった。車が世に出る時は何時も期待と不安が入り混じる。しかしトレディアの販売台数は思う様に伸びなかった。車の評価には色々な視点があるが、デザインの影響は大きい。我々としては最善を尽くしたと思うのだが・・・。思い通りに出来たことや出来なかったこと等たくさんあったが、デザインは終了した時から反省が始まる。ここで思い出されるのは、かつて三菱デザインのコンサルタントでアートセンターカレッジの学部長キース・ティーター(kieth Teater )教授の言葉だ。「クルマは美しくて優しいだけではダメ、やくざのSCAR(顔の傷跡)の様な、ある種の凄みも必要。」言い方を変えると、「これがこれである」という、他にない存在としての特長が必要であった。

トレディアのフロント

2021年8月