“パトス”のあるデザイン

本多 潔

―― 企画の始まり

1970年代後半、三菱のジープ(AMC社のライセンス生産)が次第に時代遅れとなりつつあるなかで、後継車をそろそろ開発する必要があるという考えが社内で出てきたのがパジェロの出発点だった。AMC社との契約で海外輸出が限定されていることに加え、国内ではランドクルーザーに押され気味となっていた。しかし、市場での販売見通しが立たず、新規車種として重要な採算が不透明であったためになかなか正式な開発には入れず、1978年夏に取りあえず先行プロジェクトとしてのデザインが始まった。デザインチームは、横山慎二主務をチーフとして、エクステリアが私を含めて3名でインテリアは1名だった。


―― デザインの構想を練る

当時、ジープCJは誕生から既に33年経ち、同じカテゴリーのランドローバーシリーズⅡも20年経過した車であった。だから、『これからデザインする車はもしかしたら何10年も作り続ける事になるかもしれない、とにかく流行に流されないシッカリとしたデザインにしなくてはならない』と思った。その意味では、この直前に私が担当したシグマやラムダとは全く別の意識で取り組む必要を感じた。その頃、比較参考車としてメルセデスGとフォードブロンコなどがあり、私はメルセデスには機能的デザインの良さを感じ、ブロンコにはアメリカで日常の足として使われる4WD車のライフスタイルを感じた。当時人気のあったジープジャンボリーを観に行ったり、関連部署の方々と那須高原へ参考車両での体験試乗に行ったりするなかで、アウトドアでの運転の楽しさを体感し、そうした感覚をデザインに表現したいと思った。一方で、商品企画部の方からは「銀座三越に乗っていけるような車にして欲しい。」と立ち話で言われていたことも頭の片隅にあった。色々とスケッチを描きながら自分の目指す方向は、機能性を重視しながらも、今日で言うSUV的なテイストをうまくまとめる事ではないかと考えた。

メルセデスベンツ G (左)フォード ブロンコ(右)

初期の様々なアイデアスケッチ

―― デザインセレクション

3人のアイデアスケッチが出揃いチーム内の検討会が行われた。岩田正史さんのスケッチは異形ヘッドランプのモダンなデザインで結構カッコよかった。入社間もない勝野久俊さんはジープらしさを継承したデザインだった。その場で横山主務が私の案を選び、すぐに1/1モデルへと移行した。この時既に東京モーターショーへの出品が決まっており、モデルはショートホイールベースのオープントップとなった。そのため、クレイと木型を組み合わせた内外一体モデルをいきなり作るという、第一次のモデルとしては変則的なものとなった。この時、岩田さんは別のプロジェクトに取られてしまった。この頃トレディア、コルディア、スタリオン、シャリオのデザインが並行して進んでおり、デザイン課内は猛烈な忙しさで、まだ海のものとも山のものともつかないパジェロは、最低限のマンパワーでこなさなければならなかったのだ。パジェロⅡのテープドローイング

筆者の提案スケッチ

 

木型とクレイを組み合わせた最初のモデル

―― ショーカー「PAJEROⅡ」

モデルステージに入り、フロント周りは色々な案を試みたがなかなかまとまらず少々焦りを感じた。機能的にスッキリとまとめたい一方で、独自性のある顔が必要である。結局、少し洗練されたイメージを狙い、ヘッドランプは角2灯で、ショー効果を考えてボディーは鮮やかなオレンジ、バンパーやディテールはブラックでインパクトを持たせた。水谷弘さん担当のインテリアもこのカラースキームで統一。このインテリアは機能美を狙ったデザインでエクステリアとの相性がとても良いと思った。1979年の東京モーターショーでパジェロⅡは海外メディアを含めて大きな注目をあびた。因みにパジェロという名前は大島雅夫さんがデザインした1973年のショーカー「ジープ・パジェロ」から受け継いだもので、当時カラーを担当していた大坪春久さんが名付け親だった。英語ではネガティヴな意味もあるのだが、リヤゲートハンドルに貼る車名プレートをデザインしながら、とても良い語感と文字の組み合わせだと思った。

JEEP-PAJERO

1973年のショーカー「ジープ・パジェロ」

ショーの後に行ったコンシューマサーベイで、パジェロⅡはジープマニアや防衛庁の関係者からは散々の評価であったが、一般の人たちからは大好評であったことから、それまでは防衛庁向けの車を兼ねるという二兎を追うような企画であったのが、一般ユーザー向けに割り切ることになった。1960年代に始まるレジャーブームを背景にして、レジャーや街乗りにも適した性格付けがここで固まった。

デザイン検討途中のパジェロⅡを50系ジープと比較

 

東京モーターショーに出展したパジェロⅡ

 

国内各地で行われたコンシューマサーベイ

―― 量産化へのデザイン作業

さて、先行プロジェクトは正式プロジェクトに変わり、大いに意気が高まるなかでデザインのリファインに入った。ヘッドランプは発展途上国への輸出も考慮して、洗練度よりも明快なイメージを出すため標準の丸2灯とし、フロントコーナーランプとの組み合わせで特徴のある顔付きに仕上げた。このデザインが後々の後継車にアイデンティティとして引き継がれて行ったのは、プロダクトのブランドを作って行く上で意味のある事だったと思う。ドアは後に開発する4ドアロングモデルと共通化する計画で、これでは2ドア車はデザインバランスが悪くなるのではないかと懸念していたが、背高のプロポーションのせいか、思いのほか違和感なくまとまった。

量産化に向けたデザイン検討

リア周りのレイアウトでは苦労をした。スペアタイヤがリヤランプとライセンスプレートの視認性の妨げになり、その上、輸出先各地の視認性法規はまちまちだったからだ。ショーカーではそこが未解決だったが、結局リアゲートに深い凹みを付けることを考え付き、解決できた。この時の検討にはスタジオエンジニアグループが作ってくれた各国法規の図解入り一覧表が大変に役立った。

横山主務は途中からコルディアの仕事との掛け持ちとなり、顔を合わす機会が少なくなった。それでも、効果的な指摘を受けデザインはまとまっていった。彼は常々、形の良し悪しはパッと見た一瞬で判断するものだと言っていた。自分で自分のデザインをジャッジする難しさは、デザイナーなら誰でも経験する事だが、頭を切り替えて素の感覚で形を見ることの大切さを教えて頂いたと思う。

幹部によるデザイン承認会議では全く何の注文もなくあっさりと承認。パジェロは当初の月間販売計画が国内1,000台、海外1,600台と低かったため、幹部の関心は同時期に開発中だった世界戦略車トレディア/コルディアやクライスラーでも販売するスタリオンに向いていたからだろう。

紙製のスペアタイヤでリヤゲートの凹みを検討

model work

2ドア車に続いて4ドア車のデザインに取り掛かったのだが、開発費削減のため、モデルの製作は行わず、図面だけでデザインは決定された。元々2ドア車のドアのラインは全て水平にしてあったのでその線を後ろに延ばすだけではあったが、ハイルーフの屋根は全く新しい形状で、これをモデルでの確認なしに生産へとつなげてしまったのは異例であった。

―― 予想外の成功に驚く

さて、1982年にパジェロは発売され、翌年のダカールラリーに初出場で市販車無改造T1クラスでクラス優勝。1985年にはプロトタイプ、マラソン、市販車無改造の全クラスで優勝。私はこの車の実力の高さに大変遅まきながら驚いた。こうした宣伝効果と世の中のアウトドアブームが重なり、国内の販売台数は、立ち上がりこそ670台/月であったが、ロングが追加され、モデル末期には3,000台/月と毎年伸び続けて行く。その中で、スポーツカーや高級車からパジェロへの乗り換えが進むという、それまでの自動車販売の常識を覆す現象まで起こったのだ。海外ではモンテロ、ショーグン、ダッジ・レイダー、ヒュンダイ・ギャロッパーなどの名前でも売られたパジェロだが、当初の予測を大きく上回る評判となり、中東では、「砂漠のメルセデスベンツ」とまで呼ばれた。

後に、このパジェロのデザインについて、アートセンターカレッジの学部長だったキース・ティーター(Kieth Teter)教授からは”オネストデザイン”と評され、イタリア人工業デザイナーのクリーノ・カステッリ(Clino Castelli)さんからは ”パトスのあるデザイン” と評された。パトス(Pathos)には情念という意味と哀愁や味わいといった意味があるが、私は、カステリさんは後者の意味で仰ったのだと思う。真面目で味のあるデザインと言う評価は、私にとってこの上なく有難く感じられた。


―― いま思う事

初代パジェロは、先の見通しが不確かな中で企画されたが、国内ではレジャーブームという時代の流れに見事にマッチし、ラリーでの活躍で世界で評価されるクルマとなった。9年後に次の世代にバトンタッチし、さらなる飛躍を遂げてプロダクトとしてのブランドを築くことになる。しかし、その後、会社の経営難に際して、完全に撤退することになってしまったことは、一旦高みを極めただけにことさら残念である。一方で、メルセデスG、フォードブロンコ、ランドローバーなどは、皆それぞれの進化をして今に至っており、その中でさらに進化したパジェロの復活はあり得ないことではないと思っている。

1985年ダカールラリーで日本車として初の総合優勝を達成したパトリック・ザニロリのパジェロ

2022年4月


高揚感を狙ったインテリアデザイン

 

                     水谷 弘

―― 担当は一人

私が初代パジェロのインテリアデザインを担当したのは今から43年以上も前にさかのぼる話ですが、なぜか鮮明に記憶に残る仕事の一つです。 その理由は、気持ちが良いほどストレスフリーに没頭することができたからです。このインテリアは一人で担当させて頂いたので作業量は多く大変でしたが、メンタルストレスはゼロに等しかったです。この仕事の前に担当したランサーEXのインテリアもほぼ一人作業だったので、このインテリアを一人で担当することに全く不安はありませんでした。

 

―― インテリアとエクステリアがワンチーム

私が参画した時点では、正式にプロジェクト移行する前段階のプリプロジェクトであることもあり、デザインチームのボスである横山主務は従来のやり方を変え、エクステリアとインテリアのデザインを同じスタジオでワンチームとなって進める方式を提案されました。

内外一体モデルの製作。右側壁面でインパネを計画。

シートとインパネを仮置きした内外一体モデル

エクステリアデザインは、本多さんの記事にもあるように、先行ステージを終えた段階で彼のデザインで方向性は示されていました。インテリアを担当する私としても彼のスケッチを見た時の第一印象はとても好印象で、全体の佇まいが凛としていて、軍用車であるジープとは異なり、硬派ではあるが街乗りもイメージできるこれからのオフロードカーを強く感じました。

インテリアのスタートはここからです。最初に取り掛かったデザインモデルは民間向けジープで人気のあったフルオープンタイプのデザインからでした。インテリアとはいっても、キャビンがないので、外側に全てが露出したインテリアです。それもあって横山主務は内外一体のモデルでデザインを進めたいと考えたのでしょう。そして私は、このデザイン構想を生み出すのにそれほど時間は要しませんでした。


―― オフロードカーとしての高揚感の演出

その構想とは、直前に担当していたランサーEXの時に採用した、機能的な棚式インパネ本体の上にメーター類を配置し、操作系のパネルをセンターに集中させたレイアウトです。これはパジェロに一層適した考え方であり、そこにさらにRVテイストを施し、エクステリアデザインとのマッチングを図るデザインに徹することにしたのです。

 

このインテリアデザインでは、エクステリア同様にトレンドを意識したスタイリングではなく、オフロードカーとして人が触れて操縦する機能を追求し、運転席に座った瞬間から、普通の乗用車とは一線を画した非日常感を感じさせ「私はこれからオフロードカーを運転するのだ!」といった高揚感を漂わせる演出を提案したかったのです。フロアセンターには変速レバーの他、2駆4駆を切り替えるトランスファーレバーが有り、それだけでも普通ではない印象はあるのですが、私はさらに他車にはないもので、インパネ上面の目線範囲にオフロードカーの記号性を打ち出したいという想いがありました。

そこで私は、何かヒントになるものはないかとオフロード車専門の用品ショップなどいろいろ観て回りました。しかし、足回りを中心とした用品が主で、乗用車の様に目新しくデザイン性の高い用品はほとんどありません。それでも、その中で手に取ったのがレボゲージ(傾斜計)でした。これはいわば水準器のようなもので、液体の中には気泡の代わりに金属の玉があり、それで傾きが分かるごくシンプルなものです。しかし、機能的ではあるものの上質感やスポーティ感に乏しく、心をワクワクさせるものではありません。この種のクルマは武骨さを売りにしていた一面もあったせいですが、パジェロのコンセプトは、機能性重視でありながら銀座の街の景色にもなじむ、新しいオフロードカーの在り方を追求することでした。そこで私は別の方向に目を向けて、クルマ以外の、航空機やヘリコプターなどのコクピットや、クレーン車などの作業用特殊車両のオペレーションパネルなど、いろいろな乗り物を幅広く調査し、オフロードカーにふさわしい高揚感を与えてくれるものを模索しました。


―― 傾斜計の採用

そして閃いたのが、航空機のコックピットにあるジャイロ内蔵の姿勢指示器です。これをインパネの中央に他のメーターとセットでモジュール式に配置してみたらどうかと思いついた訳です。最終的には、ジャイロ機構はコストが高過ぎて使えませんでしたが、機能的にはほぼ同等で、オフロードカーとしてはそれまでにないレベルのものが出来上がり、私の知る限りでは、世界で初めて自動車に3次元の傾斜計が装備されることになりました。

運転席正面の2連メーターは、大型バイクを彷彿させる独立型で、大型のシンプルかつスポーティで明快なデザインとしました。インパネ本体は棚式で、その上面はマグネット対応のエンボス鋼板とし、前面は衝撃吸収のためのソフトパッドとしました。センターパネルの空調スイッチは大きくて操作しやすいダイヤル式を提案したのですが、構造上傘歯車を用いることなどコスト高の要因となるため、最終的にはレバー式になってしまったことは残念でした。しかし、余談ですが、これを諦めず5年後に担当した6代目のギャランで再度提案し、ようやく実現することができました。

インパネの中心に並んだ3連メーターの中央が傾斜計

パジェロⅡのインパネ パジェロⅡのインパネ

インパネのみならずシートにもいろいろと工夫を凝らしました。フロントシートは悪路走破性を考慮したサスペンションシートを採用。ホールド性の高い形状でオフロードカーのシートらしく徹底的に機能性を追求したデザインとし、また生地は通気性の良いニッティングレザーをオレンジの中央部分に採用。しかし量産車においては、コストの高い特殊なレザーは見送りとなり、ファブリックが採用となりました。

パジェロのシートのスケッチ パジェロⅡのシート

 

―― モーターショー・プロダクトクリニックからの手応え

この仕事は、新世代の本格オフロードカーとして先鞭をつけようというスタンスでチームが一丸となって取り組んだ、やり甲斐のあるプロジェクトでした。その一方で、当時は、その後この車が三菱自動車にとってメジャーな車種に発展するとは、恐らく誰も想像しておらず、デザイン開発時は幹部にさほど注目を浴びなかった事もあり、作業は我々のペースで、予想以上の速さで進みました。そうしたなかで、1979年秋の東京モーターショーにコンセプトカーとして出展し、来場者の反響を見て正式プロジェクトにつなげようという事になりました。そのモチベーションによって急ピッチでモデル製作作業は進み、モーターショーに何とか間に合わせることが出来たのです。  

狙い通り、東京モーターショーでは大きな反響があり、RVブームの幕開けを予感させるものがありました。モーターショーが終わったタイミングで青森グランドホテルにモーターショー出展車のパジェロⅡを搬入し、東北エリアの販売店営業マン数十人に対し、プロダクトクリニック(製品評価)を二日間に渡り実施。本多さんとモデラーの福井勝喜班長と私が出張して調査に参加しました。東北の冬は雪深く、日常生活において本格4駆車は必須であり、当時のジープでは動力性能は満たしても使い勝手や快適性に於いては古いクルマであるが故、現地の皆さんも限界を感じていました。結論から言うと、まさに待望の新型車であったようで、「とにかく早く出して欲しい」と切望されました。

反響が反響を呼び青森が終わったら続けて札幌自販でも調査したいとのことで、急遽展示車を空輸して追加のクリニックを実施。各地での反響のお陰で、1979年年末ついにプロジェクトは正式となり、そのまま同じメンバーでショートのメタルトップからデザインに取り掛かり、翌年3月に無事デザイン基本承認を得ることができました。

大きな反響のあった青森グランドホテルでのサーベイ

―― 後につながったRVメーター

その後、私は以前からその年の4月からは先行デザインチームに異動が決っていたので、基本承認を得たところで最終承認に向けての作業は渋谷さんと國本さんにバトンタッチし、デザインをブラッシュアップしていただきました。自分としては最後までやり遂げたかったのですが、純粋に気持ち良く進めることのできた仕事であり、この経験は後に私が携わったプロジェクトデザイン業務にも多大な影響を及ぼしているといえます。

採用となった傾斜計を含むコンビメーターは、我々開発部門の中では”RVメーター”と称され、その後のパジェロ、パジェロミニ、デリカ、RVRなどに幅広く展開されることになり、1982年初代パジェロの登場から1999年迄の17年間、三菱RV車のシンボルとなりました。私が当初目指した三菱RV車インテリアの象徴的な存在として、このメーターがつながって行ったことは、とても嬉しく、誇りに思います。このような達成感を感じた初代パジェロのインテリアは、思い出に残る仕事です。

最終デザインのインパネ

最終デザインのシート

2022年7月


パジェロ「Excced」のカラー&トリムデザイン

 

岩田正史

―― パジェロに高級SUV仕様の追加 

パジェロは最初、ショートボディの4ナンバーのバン(貨物車)からスタートしたが、さらなる市場拡大を狙い、ショートワゴン、ロングボディのバン及びワゴン、ミッドルーフと毎年のように新しいバリエーションの投入を図り、パリ・ダカールラリーでの活躍にも後押しされて毎年30%増の販売台数を伸ばしていた。そうしたなか、商品企画部門は国内向けのパジェロに新たな魅力を追加しようと計画し、そこで注目していたのがユーザー層の変化である。所得が高い中級・高級乗用車のユーザー層がオフロードカーのパジェロに乗り換える例が増加していたのだ。

当時のオフロードカーと言えば、ランドクルーザーやサファリなどが代表的だが、武骨で泥臭いイメージが拭いきれず、一般の乗用車ユーザーには手が出し難い存在だった。その点、パジェロは、そうした泥臭いオフロードカーよりは街中でも乗用車的に利用できる、ちょっとモダンで洗練されたオフロードカーとの印象がもたれていた。そしてデザイン部に持ち込まれたのが、パジェロのイメージリーダーとなる高級仕様車を追加投入する企画だった。商品企画部の目論みは、月販はわずか50台であった。それはオフロードカーの高級仕様という、それまでの概念を超える企画であり、予測できるのは精々この台数だった。

――― 高級版パジェロの仕様名は「Exceed」

当時パジェロのカラー&トリム担当だった私は、商品企画部の説明を受けて真っ先に思い浮かべたのは英国のレンジローバーであり、持ち込まれた企画書にも目標としてレンジローバーの記載があった。レンジローバーといえば、富裕層が農園の視察や別荘での移動目的で使う車のイメージで、フルタイム4WDの機構を持ち、スタイリングはスペアタイヤを室内に配置したエステートカーを意識したシンプル且つスマートなクロスカントリー車である。私はパジェロにそんなレンジローバーのようなラグジュアリーSUVのイメージを持たせることが出来るのかと少々困惑した。

月販50台では準備費はあまり掛けられない。主な変更部位は、外装では専用車体色(2Tone)とアルミホィールの追加程度。内装は本革シート、本革巻きステアリングホィールと、変更のほとんどがカラー&トリムデザインの仕事だった。高級版パジェロの仕様名は「Exceed」と決まり、それは後にパジェロの名声を確立する仕様名となるのである。

1970年式レンジローバー

――― 「Exceed」のカラー&トリムデザインの具体的な中身とは... 

まず車体色では、パジェロシリーズの中で明確な差異化を図るために、従来からある2Tone 塗装から3Way2Tone塗装へと見直した。これは、北米の大型ステーションワゴンなどに採用されている木目のデカール貼りがデザインソースで、日本でもクラウンやセドリック、三菱ではギャランΣのワゴンにも採用されていたデザイン処理だが、この木目デカールにあたる部分を違うボディ色に変えた。幸いパジェロには3Way2Toneの塗分けを容易にするプレスラインがボディに有った。スケッチを基にサンプルカーを製作して確認したところ、従来の2Tone塗装車に比して十分な差異化があり、なお且つよりスマートに仕上がった。3Way2Tone塗装は過去にセダンの2代目ランサーフィオーレで採用した経緯もあり、他社には見られない三菱独特のデザインでもある。これに加え、サイドのピラーやサッシュをブラックアウト塗装に変え、窓周りもすっきりさせた。切削タイプの専用アルミホィールも豪華さに寄与した。

エクステリア担当の青木氏によるスケッチ

Exceedの3Way 2Tone 塗装(左) エステート仕様の2Tone 塗装(右)

次にシートだが、まずヘッドレストは高級感と開放感のあるオプション設定の穴明きタイプに変えた。そしてシート表皮は、当時の国産の高級車のシート表皮といえばソフトで毛足のあるベロアが主流で、本革はどのメーカーもオプション設定だったが、Exceedでは本革シートが標準装備となる。そこでパジェロらしい本革シートとするため、本革シートとファブリックとの併用を使考えた。オフロード走行時、乗員は様々な方向に揺さぶられる可能性がある。そんなシートの全面に本革を張っては体が滑って落ち着かない。フルフラット使いが前提のリヤシートはなおさら滑りやすい。そこでシートバックとシートクッションの中央部分には滑り止めを考慮したツィード調のファブリックを張り、手が触れるシートバックとクッションの脇部やヘッドレストに本革を張った。また、縫製ラインの追加やステッチ使いで発生する皺などで本革らしさを演出した。

また、ファブリックは数ある候補生地の中から素材の魅力に引かれてウール生地を選んだ。当時、生地メーカーの川島織物の担当者からは「ウール生地を車のシートに採用するのは世界初」だと聞いた。ただし、100%のウール生地では三菱のスペックを通らないことが分かり、川島織物と改良を重ね最終的にウールブレンドの生地に落ち着いた。さらにウール使用をアピールするため、シートにウールブレンド生地使用の証としてウールマークのタグまで付けた。またこの生地をドアトリムにもインサートした上で周囲を光輝モールで囲み、上級車らしさを出した。尚、本革とファブリックの組み合わせシートは、現在ではスポーツモデルなどによく見られるようになったが、当時としては珍しい試みだった。

EXCEEDの内装(左)ウールマークブレンドのタグ(右)

後にマイナーチェンジで「Super Exceed」が加わり、シート形状の修正とともにウールブレンド生地はコストダウンで普通のファブリックに変更されたが、本革とファブリックの併用による滑り止め効果は継承された。

3Way2Tone塗装はExceedのオーバーフェンダー仕様車にも継続され、さらには、これ以降のパジェロのモデルチェンジ(3代目を除く)を通して、パジェロの販売終了に至るまで継承され、高級仕様の専用塗装として広く認知されるに至った。

2代目/4代目パジェロに継承された3Way2Tone塗装

―― やがてExccedは三菱の稼ぎ頭に

カラー&トリムデザインを中心に開発したExceedは、市場に投入すると、ユーザーの乗用車としての満足感を刺激したせいか、いきなり1000台を達成したので驚いた。当時この企画を担当した商品企画の今崎剛氏は、「まさかここまで売れると思わなかった、全く市場を読み切れておらず、うれしい誤算だった」と後に語っている。その後も市場のニーズは伸び続け、当初のExceedに加え、Super Exceed、さらにはSuper Royal Exceedが追加されるに至たり、Exceedシリーズ(販売価格はおよそ300~500万円)はパジェロの国内販売台数(この時期の月平均約2,000~3,000台)の50%を占め、パジェロの代表車種となり三菱の稼ぎ頭となった。

パジェロのExceed投入以降、他社のオフロードカーもパジェロに負けじと競うように高級仕様やスペシャル・エディションなどが追加され、レカロシートや本革シートは無論、アルカンタラの生地採用などと高級乗用車並みの仕様が増えることとなった。当初は、「こんな豪華版オフロードカーが日本で売れるのだろうか」とさえ思ったが、その後このExceedがオフロードカー市場を牽引する存在になった事は正直うれしかった。

2022年4月