「3ナンバー税制改正」に先陣を切った高級セダン

 

渋谷克博


ディアマンテ/シグマの開発は発売から遡ること5年前の1985年に始まる。開発の初めに主要メンバーはドイツへ行き、想定される日本車と欧州の競合車でアウトバーンを走行した。日本国内ではテストコースでしか体験できない時速200Km走行を通して、日本車がひ弱で個性が乏しく、高級車イメージというものには程遠い事を全員が痛感した。このことから私は、骨太かつ上品なデザインを作ろうと考えた。言い換えれば、信頼に結びつく高い技術を備え、それを表現するカタチは抑制されていながらも、ゆるぎない存在感を持つこと。そしてそのメッセージはオーラとなって人を振り向かせるような車だ。この思いで私たちデザイナーが生み出した、「高い技術を前提とするエクステリア、インテリア、カラーデザイン」は、発売段階で「柔らかな深度」をキャッチコピーとして高級感を訴求することになる。

 

―― 5ナンバーでの開発スタート

この車は初め高級5ナンバーセダンの企画で、最初に1/4モデルを作成した。我々日本のデザイン部と、アメリカ、カリフォルニアのMSIデザインスタジオ(三菱のサテライトスタジオ)、イタリアのアルド・セッサーノ氏ら三者での展開だった。私はこの頃インテリアを担当しており、後にエクステリアを担当することになる。

<日本のデザイン部の1/4モデル>

 

<カリフォルニアスタジオの1/4モデル>

 

1/4モデルはその後選考を経て1/1モデルに移行し、日本で3案、アメリカで1案を作り、最終的に日本のB案に方向付けされた。

方向付けされた日本のB案モデル

―― 3ナンバー世界戦略高級セダン計画の浮上

一方、この頃から別のプロジェクトとして3ナンバー世界戦略高級セダンの計画が始まり再び三菱デザイン部、アメリカデザインスタジオ、アルドセッサーノの三者で1/1モデルを作成していたが、ほどなくして立ち消えとなってしまった。

5ナンバー車はB案で、決定と思われたが、万全を期すための駄目押し案検討となった。新案はインテリアグループの私とエクステリアグループの赤嶺君が担当したが、B案の魅力に及ばずB案でデザインが決定された。しかし開発開始から既に2年が経過していたこの頃、3ナンバー車の自動車税を大幅に安くする税制改正が行われそうだという情報があり、幹部はこのまま進むか企画を3ナンバー車に見直すかのジレンマに陥った。

そうした中で、3ナンバーの世界戦略高級セダンの開発が振り出しに戻って始まり、私と赤嶺君が担当となった。私がそれまで担当していたインテリアは既に方向付けされていたので、ここで一旦別のデザイナーに代わってもらい、エクステリアに頭を切り替え、本腰を入れた。

三菱から初めての3ナンバーの世界戦略高級セダンということで、私はいつもより気合が入った。私の狙いは、三菱の強みである高性能なエンジンでもたらされる「上質な走行イメージ」を基本にした。そしてこれを表す形は「先ずタイヤと一体感を持たせたロアボディを土台にして、シッカリとしたスタンスを作り出す。その上で前傾ノーズに始まり動的なキャビンを経て潔くコーダトロンカにしたリアへと繋がる」という「正統派セダン」だ。

狙いを具体化するためのエスキース

エスキースを元にしたレンダリング

この狙いで描いたスケッチが採用され、次のモデルの段階へ移ろうとしていた。そうした矢先、税制改正が発表となった。幹部は即行でこれまで進めていた5ナンバーセダンと世界戦略セダンの企画を統合し、それを3ナンバーセダンとした。ディアマンテは国内メインでサッシュレスドアのパーソナルサルーン、シグマは国内及び輸出向けでサッシュドアのオーソドックスなセダンと決まった。これらのデザインのベースは前述の世界戦略セダンのレンダリングで、ディアマンテは私と赤嶺君が担当し、シグマは小林主任と大熊君が担当となった。2車種では共通部分があるため、先ずディアマンテが先行し、デザインの見通しが立ったところでシグマがスタート。

スケッチを描く筆者

―― ディアマンテイメージの創成 

この時点で、新企画に合わせたディアマンテのスケッチを作成した。このスケッチは、国内では今後急成長が予測される3ナンバーサイズで、ゆとりはあるが大き過ぎない程よいサイズ感を意識し、エレガントなテイストのA案と、密度感を持ちやや硬質なイメージのB案を描いた。その結果、B案が選ばれた。

A案

B案

しかし、このスケッチはややセダン然としていたので、よりパーソナルでクーペ的なフォルムが地を這って颯爽と走るようなイメージスケッチを描き、これをベースにしてモデルに着手した。

イメージの指針としたスケッチ

方針決定後は、他者に先んずる発売時期が勝負となる。1988年のクリスマスを目前とし、まだスケッチしか無い状態であったが、翌年3月初めにはデザインを決定する日程が組まれた。この短期開発に、車両を計画するプロジェクトグループ、設計、デザイン部のモデラーやデータスタッフを含む全部門が渾然一体となり、一気呵成に作業に取り組んだ。特にプロジェクトリーダーの井村二郎さんは、デザインの重要性を良く理解し、毎日スタジオへ足を運び多角的な支援をしてくれた。そのおかげで、我々はデザインに集中することができた。



―― イメージ具現化への苦難

しかし難題は数多く、初めのモデルはまだセダン然としてパーソナルサルーンのイメージが弱く、塊感はあるが重い印象だった。このため、連日モデラーの横山さんや安井さん達とチューニングを繰り返しようやく狙う方向の見通しがたった。

リヤエンド処理は2転3転した。初めはコーダトロンカだったが、重い印象だったので丸みをつけた。しかし今度は動きが感じられず、次はダックテールを付けた。しかしこれは違和感が強いと外した。だが、この結果リア周りが又重くなってしまった。これも失敗と気付き、ダックテールをやり直そうと、「もう一度ダックテールに戻したい」と叱責を覚悟して三橋部長に申し出た。日程逼迫の中怒られたが、無理を通させてもらうことができた。日程が厳しくとも失敗のまま進めるわけには行かない。結局、慎重に戻したダックテールはウエストラインから流れる形にし、空力的に有効な範囲内で控えめな表現にしたが、リヤエンドを引き締めつつスポーティーなイメージにすることができた。

 

 

赤嶺君が担当したこの車のフロントビューを印象付ける特徴的なグリルは、設計から3分割を要求された。理由は成形後の変形だが、分割による見栄えの低下は大きく、横山チーフデザイナーと共に、「このグリルはこの車の大切な顔だ」と死守した。その結果、全仕様メッキ化することで強度を確保し、細い外周枠での一体成型を実現した。


ヘッドランプは、初め単純な方形だったが、これではパーソナルな雰囲気が出ないので、全体に丸みをつけ、大きさを変えた片側2灯ずつの変形ランプとした。しかしグリルの枠を確保するために上下に狭くなった上に、丸みをつけたことで反射面積が小さくなってしまった。その為、設計は内部にレンズを加えた構造にして、これを解決してくれた。


ボデーカラーにもこだわった。モデルを見ながら、黒も良いが、情緒的な深い味わいの紺色で知的な高級感を訴求したいと考え、メタリックやマイカ塗装が全盛の中で、あえて「ソリッドで硬質な高級感を出したい」とカラリストに追加色開発を持ちかけた。すると、「塗料開発は期間が長く量産に間に合うか断言できない」としながらも苦労を覚悟で賛同してくれた。チームメンバーの松原君と共にあくなきサンプル製作を繰り返し、真夏の屋外での色チェックを進め、物性や作業性検証も関係部門の努力で促進し、量産寸前で実現にこぎつけた。

実現したオーセンティックブルー

3ヶ月遅れで発売するバリエーション車種のシグマは小林主任と大熊君達が、私たちと連携を取りながら作業を進めた。シグマは「プレステージ感のあるセダン」として、パーソナルサルーンのディアマンテと棲み分け、キャビンはシックスライトで居住性を確保しながら明るい室内とし、グリルはセンターグリルにアクリルをアレンンジして新規性を狙った。リアは全幅までの横一文字にしたテールランプで堂々としたイメージにした。こうして夢中で走り続けた基本デザイン開発の2ヶ月は矢のように過ぎ、当初の予定通り3月7日、ディアマンテ、シグマは承認された。

 

シグマの承認モデル(国内向け)

 

 

―― 最後の詰め

基本デザイン承認後も高級車として仕上げる作業は山積し、特にボデーのハイライトのチューニングには時間を費やし、モデルの屋外でのチェックを繰り返して納得ゆく面に仕上げた。多くの課題をスタッフと共にこなして進めてきたが、特に当初から一緒にやってきた赤嶺君とは共に頭をフル回転させ乗り切った。短期間のうちに多くの難題を乗り越えながら、プロジェクト関係者の中にはこの車をしっかりと纏め上げようと機運が高まり、それが妥協のない製品へと繋がっていった。

ディアマンテの承認モデル

 

 

デザインがほぼ固まった頃、三菱と関係が深く、車への造詣が深い俳優の高倉健さんがデザイン棟へ訪れた。彼は以前も途中段階のモデルを見ているが、この時はロスでの撮影を終えたばかりのため、頭を車に切り替えようと、愛車を運転して来てくれた。モデルを見ての彼の第一声は、「いいですねー」「ほらトリハダが立ってますよ」と笑顔で述べられ、その言葉は私の心に強く響いた。

税制改正後の1990年5月、ディアマンテは新しい3ナンバー高級車として他社に先駆けて市場に投入され、1990-1991年日本カーオブザイヤーを獲得するに至ったのは幸運であった。

完成したモデルを見る高倉健氏

2024年9月

 


「新しい価値観を目指した高質インテリア」

 

高桑 和弘

―― 上質な高級の探求

私が渋谷克博さんをリーダーとするディアマンテのインテリアチームに加わったのは、その先行デザインが終わった時だった。そこでは「RISE=Rich. Intelligent, Sexy, Emotional」、「New Snob/鼻に着くけど魅力的」というコンセプトをベースにして、「本物を使いこなすニッチなユーザーをターゲットにする」、という考え方が出来上がっていた。私はそれに大いに共感を覚え、この車のインテリアではひたすら「上質な高級」を目指し、メルセデス・ベンツやBMWなど欧州の競合車に追い付き追い越すことが使命だろうと考えた。

この時期、一足先に開発が進んでいた6代目ギャランは、後に「インディビデュアル4ドア」を標榜する個性的かつ存在感あるデザインに仕上がっており、その上位機種にあたるディアマンテは、自ずとより高いレベルを目指す必要が感じられた。しかしそのためには「上質な高級」とは何かを理解しておく必要があるが、私たちサラリーマンは高級な暮らしとは縁遠いし、ましてや職場のある三河地方の田舎に高級な一流店があるわけでもない。そこで、東京の本社の商品企画部が、青山、六本木近辺の高級ブティックや高級フレンチレストランなどを体験する機会を作ってくれて、私たちは一張羅を着て東京での一日を過ごした。短い時間ではあったが、それはいわば役者の役作りと同じ様なことであり、そこで一流の世界に求められるもののイメージをそれなりに掴み取ることができた。  

―― 五感で感じるインテリア

岡崎に戻り、東京での非日常的でリッチな体験の気分が消えない内に、デザインの方向性についてチームで自由に話し合った。その中で特に皆が共感したのは、エクステリアでは高質感を主に形で表現するが、インテリアの場合は形のみならず触感、音、香り、さらには設え(空間の演出)など、人間が五感で感じるあらゆる要素をデザインし、高質感を表現する必要があるということだった。そのイメージを胸に、私たちは次のスケッチステージへと進んだ。

初期に作られたデザイン コンセプト パネル

 

―― スケッチからクレイモデルへ

チーム4人で様々なスケッチを描いた上で方向を絞り込んで行ったのだが、私の案はリーダーの渋谷さんの案と組み合わさるかたちで1案となり、それは前席の二人を同等にもてなすT字形のインパネを中心として室内全体に連続感を持たせたデザインで「サラウンドインテリア」と名付けられた。もう1案はドライバー重視でコクピット感のあるスポーティなデザインだった。

サラウンド インテリア案

ドライバー重視の案

その後その2案のラフなモデルを発泡材で作り、続けてクレイモデルの製作へと進んだ。私にとってインテリアデザインはこれが初めてだったので、全体計画は渋谷さんが行い、私はメーターや操作レバー、スイッチなどのデザインを中心に担当した。通常この段階のモデルは木型を外注して作るのが普通だったが、渋谷さんはあえてクレイを選んだ。クレイモデルはデザイン部内のモデラーの作業が増えるので煙たがられる傾向があるのだが、クレイの方が変化に富んだ微妙な造形の検討がやり易く、高質感を追求する上でこれは適切な選択だったと思う。

サラウンド インテリア案の発泡モデル

ドライバー重視案の発泡モデル

モデルではインパネからフロアコンソールとドアトリムへと滑らかに繋がるソフトパッドの流れによって、インテリア全体をコクーンの様に包み込む造形にするところに最も神経が注がれた。その結果この段階としては納得のいく高質感を表現することができたが、それは、その微妙な造形を巧みに作り込んでくれたベテランモデラーの坂本登さんの腕がものを言った。デザインを形にするにはモデラーの表現力が重要だと、この時つくづく感じた。

サラウンド インテリア案

ドライバー重視案

―― デザインの方向付け

開発の途中で企画が変更となり、車体は拡幅されることになった。これによりセンターコンソールの幅を広げることができてインパネは堂々とした印象となり、全体イメージは一段と高級感が増した。その後のデザイン検討会では、このインパネが高い評価を得て、すんなりと方向付けの承認を得ることができた。その一方でこの時エクステリアデザインの方は予定していた承認を得ることが出来ず、プロジェクトは立ち往生してしまった。しかしプロジェクト統括する井村二郎さんは「このインテリアのイメージでエクステリアを作ればいいじゃないか」と言い、その後チームリーダーの渋谷さんが新たにエクステリアを担当するという異例の展開となった。

企画変更後に承認されたモデル

―― 設計部門との熱いやり取り

デザインが方向付けされた後、渋谷さんはしばらくエクステリアに専念することになったが、その代わりの応援を得て、ここからは量産に向けたリファインと細部の作り込みを設計部門とやり取りしながら行う段階へと進んだ。

サラウンドタイプのインテリアは自然な連続感が重要なポイントとなる。部品の取付け誤差を如何に目立たなくするかで、コンマ何ミリの詰めの検討を設計や生産技術部門と行った。また、センターコンソール上部の庇の上面がエア吹き出し口から下方への気流を妨げるので、庇を削るべきとの要求が設計からあり、これには動揺した。この庇はインパネを特徴づける重要なポイントであり、ここを削られてはデザインが台無しになる。そこで突っ込んだ検討を重ねた結果、我々が主張した空気の流れが成り立つことが立証され、デザインを守ることができて事なきを得た。

気流の流れでもめたセンターコンソール

スイッチや操作レバー類は、可能な限りブラインドタッチで分かる形状にすると同時に、直感的な操作のしやすさを考慮することでエルゴノミックスの理にかなったデザインを設計と共に追求した。こうしてデザイナーとエンジニアとの熱意によって目標としていた高質な車に一歩ずつ近づいていった。

 

―― 高質を目指しての仕上げ

デザイン開発の終盤での関門はカラーとマテリアルであった。連続感のある「サラウンドインテリア」を構成する様々な部材の質感と色味の統一感は高級車の味の見せ所である。

先ず内装材のベースは、インパネのみならずドアトリムにもスラッシュ成型のソフトパッドが奢られることとなった。これは高級車でも珍しいことで、その上質な風合のパッドに連続感を持たせるために大柄な流れ絞を使い、全体としてクラフト的な柔らかさを表現するというプランを立てた。その上で、大柄な流れ絞を探したのだが、既存の表皮材ではこれだというものが見つからない。そこで新しい絞を1から作ることにして、ベースとなる素材をあちこち探しまわった結果、大学の先輩がデザイン部長をされている表皮材メーカーに相談したところ、協力してもらえることになり、オーストリアのウィーンで見つけたという秘蔵の皮革一頭分を使わせてもらうことになった。その皮革のイメージに合った箇所を選び出し、先ずは試作シートを作って風合いを確認。さらに最終のインテリアモデルにその表皮を反映して承認を得ることができた。

インパネからドアトリムまでスラッシュ成型のソフトパッドを採用

インサイドドアハンドルは、手に馴染むフォルムを何度もリファインを重ねてデザインし、表面処理はありきたりのクロムメッキではなく、チタンをイメージして沈んだ色調で艶を抑えながらサラッとした触感を追求。インパネ、フロアコンソール、ドアトリムに展開した本木目のパネルは、深みのある上質感を目指して色、柄、質感に吟味を重ねてチューニング。インパネ中央の時計はあえて3針のアナログにして格調のある雰囲気を演出。


細かいところでは、スイッチやレバー等の色は一般的な黒ではなくダークウォームグレーにし、その上でその表示文字やピクトグラムはありきたりの白ではなくライトベージュにして、ここでも高質表現にこだわった。また、シート生地には快適性に優れたウールとした。ウールは自動車のスペックを満たすのが難しい素材だが、住之江織物さんの協力でそこをクリアできた。

 

こうして、一つ一つの部品に本物の素材感と表現を与えることで、インテリア全体が一流の空間(設え)となる様、チームでとことん取り組んだ。そこにはリーダーの渋谷さんの高質に対する感覚を皆で共有したことがベースにあり、さらにはプロジェクトを統括する井村さんがこの車におけるデザインの重要性を心底理解し、惜しみなくデザインにコストをかけてくれたことが背景にあったと思う。


―― 開発を振り返って

ディアマンテは、最終的に渋谷さんが担当したエクステリアデザインが採用となったことで、内外共に彼のデザイン思想を反映した車となった。一歩先に発売された6代目ギャランも同様だったが、企業内のカーデザインにおいてこれは稀なことで、それだけに素晴らしい統一感のあるデザインが生まれたと思う。

図面作業をする筆者

商品開発プロジェクトとしては、紆余曲折はあったが三菱ならではの新しい価値観を持った高級車を作り出し、国内3ナンバー車の税制改正の変化をタイミングよく先取りすることができた幸運も重なって、カーオブザイヤー受賞、グッドデザイン受賞というご褒美をいただく事が出来た。また、当初の狙いとして「欧州車に追いつき、追い越す」ことを目指していたが、発売後欧州車から乗り換えのお客様が少なからずおられたとのニュースが何よりうれしかったことを覚えている。そして私自身にとっては、この仕事の一員であったことは幸運であったと同時にデザイナーとして貴重な経験が出来たと思う。

2024年9月