世界標準のFFコンパクトクーペ

 

仲西昭徳

イメージスケッチ

―― 概要

1979年当時、ミラージュの少し上のクラスをFF化するのが世界的に見て大きな流れであった。コルディアはセダンのトレディアとともに、そのクラスの世界標準のFFコンパクトクーぺとして7月にデザインスタートし、1982年2月に発表発売という短い日程で開発された。私はデザイン部門に配属されて2年目、当時25歳でこの世界戦略車コルディアのエクステリアデザインを担当することが出来た。初めて経験するコンセプト作り、スケッチコンペ、フロント周りだけであったが1/1テーピング、クレイモデルを担当出来たのは幸運であった。この車で得た経験は後に担当する開発機種に活かすことが出来た。コルディアは国内での販売は期待ほど伸びなかったが、世界戦略車としてみれば2ドア車として十分な支持を受けることができた。

―― コンセプト合宿

開発日程が短いのでデザインコンセプトを早期に決めチームで共有するため、エクステリアとインテリアデザインメンバーが同年7月伊豆で4日間の合宿を行った。参加メンバーは中川多喜夫主務、小林信一主任、古川勝主任、石井成久さん、大浦英三さん、大熊栄一さん、私の7人であった。私は合宿というから和気あいあいのミーティングを想像していたが、思った以上に白熱した議論に驚いた記憶がある。社内での地位の上下にかかわらず忌憚のない議論が交わされた。このような議論は会社の外での合宿だからできたのかもしれない。

合宿の結果、トレディア、コルディアは主に日本、アメリカと欧州に投入するグローバルカーであることを背景に、スタイリングテーマは虚飾を廃したピュアなスタイリングにすることなどが確認され、メンバーで共有された。当時の三菱車のデザインは、もともとヨーロッパ車に近い機能的でシンプルな佇まいだったので、スタイリングの方向は無理なくメンバー内で共有できたのだと思う。ただ、私に関しては、合宿に参加し先輩たちに混ざって議論に参加できたつもりでも、コンセプトの表面的な意味しか理解できておらず、それらをデザインに落とし込むところまで頭の中で整理できていなかった。それが次のスケッチコンペで露呈してしまった。

―― スケッチコンペ

合宿で合意されたコンセプトを基に岡崎のスタジオでセダンとクーペのチームに別れてスケッチをスタートした。セダンチームは、中川主務、小林主任、石井さん、大熊さん、クーペチームは、合宿に参加していなかった横山慎二主務、桑原龍彦さんと合宿に参加した私であった。

振り返ると、私のスケッチはお世話になっていた先輩から、デザイン雑誌によく出てくる欧州スポーティクーペやイタリアの有名デザイナーのコンセプトカーのデザインの寄せ集めの様だと指摘され、悔しい思いをしたことを思い出す。確かに自分のスケッチは採用されたスケッチなどに比べ、デザインテーマが分かりにくく、コンセプトを明快に実現できているスケッチではなかった。

スケッチが完成し、当時の久保富夫会長の出席された幹部による会議でスケッチが審査され、セダンは中川主務、クーペは横山主務の案が選ばれた。横山主務のスケッチはシンプルなフロント、コンシールドホィールアーチなどコンセプトが明快に表現されており、これらのテーマは生産車にそのまま生かされた。採用案スケッチのデザイン要素は明快にコンセプトとのつながりが説明出来、シンプルに言葉で説明出来る特徴があった。私はスケッチステージで自分の未熟さを知ったが、次の1/1ステージがさらに大変だった。

会議で選ばれた横山慎二氏の提案スケッチ

桑原龍彦氏の提案スケッチ

筆者の提案スケッチ

―― 1/1テープドローイング、クレイモデル製作

1/1のステージにはスケッチステージに参加されなかった古川勝主任が参加し、エクステリアデザイン全体を取り纏め、リヤ周りを桑原さん、フロント周りを私が担当した。採用案になった横山主務のスケッチのイメージを守りながら基本寸度図(パッケージ図)上に1/1テープドローイングをし、それをベースにクレイモデル用の1/1図面を製作した。さらに、この車が世界戦略車であるということで空力性能も重要な要素としてデザインに盛り込まれることになった。スケッチのシンプルなフロントやシャープなボディへ、空力の要素を盛り込んでボディプラン形状の前後を絞り込み、立体的な面処理にすることになった。サイドビューを特徴づけるコンシールドホイールカットも空力処理のひとつで、リアホイールによる風の巻き込みを防ぐ効果を狙ってスケッチのまま実現された。発表されたCd値はトレディアが0.39、コルディアが0.34と、当時としてはかなり優れていた。テープドローイング

 

コルディア クレイモデル

 

クレイモデル リヤ


生産化に向けたデザインのリファインが進む中で、ヘッドランプはセダンのヘッドランプを共用
することになり、スケッチのフラッシュなイメージと異なってやや彫りの深い立体的なイメージになった。その反面、当初のクリーンでシャープな雰囲気はやや薄まった。計画台数の少ない車種は、採算を考えなければならないものなのだ、という事をそこで学んだ。
フロント周りだけとは言え、私にとって1/1テープドローイングと図面は初めての貴重な経験だった。特にボディデザインは距離をおいて見ないと評価できないことを学び、図面だけで形を決めて、それが立体になったらおかしな所が出て苦労もした。

セダンとのヘッドランプ共用化を検討する三浦良次氏 (左)と筆者 (右)

例えばコルディアのフロント部分のプランビューは大きく絞ってあるので、サイドビュー中央の溝を図面で水平にすると斜め上から見て前に跳ね上がって見えてしまった。この線をモデル上で前に跳ね上がって見えないよう何回も修正して図面に視覚補正として反映した。この修正作業は私の経験不足によるものだがベテランモデラーが辛抱強くサポートしてくれて適正な視覚補正を図面に反映することが出来た。この結果コルディアのサイドビュー中央の溝のヘッドランプ側の部分は水平ではなくわずかに前下がりになっている。

経験を積んだ先輩デザイナーやベテランデラーと仕事をすることにプレッシャーを感じたが、一方で厳しくも暖かいサポートやアドバイスなどで1/1モデルを終えることが出来た。特にモデラーの三浦良次さんにはとても助けてもらった。コルディアの1/1モデルが完成した後に、1980年から別のプロジェクトで車一台分の図面を描いて1/1モデルの製作に関わったが、この時の経験がとても役立った。

コルディアのクレイモデル作業

カーグラフィックのコルディア

カーグラフィック1982年1月号 表紙

 

―― 発表発売 

コルディアのプロトタイプは1981年秋の第24回東京モーターショーに参考出品されCAR GRAPHIC誌の1982年1月号の表紙に取り上げられた。三菱車がCAR GRAPHIC誌の表紙になるのは非常に珍しいことだと先輩に教えてもらった。いざ記事を読んでみると私が苦労したフロントの絞り込みについても好意的なコメントが書いてあり嬉しく感じた。翌1982年2月にはプラザ店向けのコルディアXP、ギャラン店向けのコルディアXGとしてセダンのトレディアと一緒に発表発売された。

コルディアのPRで当時話題のイラストレーター長岡秀星さんにイラストを描いていただいた。長岡さんからは、「″2001年から来たスペースクーペ“ それがコルディアを見た時の第一印象でした。スタイリング、スペースを感じる広さ。まさに、私のイメージにピッタリのクルマです」とコメントがあった。

新世代のワールドカーとして期待され、モーターショー出品や有名イラストレーター起用など広告宣伝もおこなって市場に投入されたコルディアであったが、1982年の国内販売台数はなんとか20,000台を超える程度で、’83年には10,000台を割り込んでしまい、’87年に生産を終了したが累計国内販売台数は約33,000台に留まった。一方で当初の狙いであった世界戦略車としてみれば、合衆国、オーストラリア、ニュージーランドや南アフリカでデザインも評価され、販売を伸ばし、コルディアのライフ生産台数は122,705台で、三菱の2ドアクーペとしては優秀な成績となった。

長岡秀星のイラスト

長岡秀星氏のイラスト

1982年のコルディア発売後、デザインを担当した古川勝主任と一緒にカリフォルニアスタジオ設立のため北米へ長期出張したのだが、この時、コルディア北米発売のためのサーベイが行われるので、立ち合うことが出来た。コルディアは日米の競合他車と並べて評価され、スタイリングは競合他車との比較では一番評価が高かった。ただ、競合他車は’82年に市場にある車で新鮮味に欠けることや、コルディアも熱狂的に支持された訳ではなかった。サーベイの回答コメントの中に”Good but too much typical”というコメントが有ったのを記憶している。良い車だがありがちなデザインと評されたということだと思う。この車を買いたいと思わせる強いアピールがあれば不振だった国内でも販売を伸ばせたのではないだろうか?今振り返ると、この点は反省すべきと考える。

コルディアは私が初めてコンセプト合宿とスケッチコンペに参加して、部分的だが1/1モデルまでを担当した最初のプロジェクトであり、このプロジェクトで得た経験、一緒にプロジェクトに携わった人とのつながりと反省点は、次の機種開発のための大きな財産になった。

コルディア 最終デザイン

コルディア フロント

コルディア リヤ

2021年9月