“フォーラム” に対して44件のコメントがあります。 大島Jr. より: 2023年4月22日 2:00 PM 初めまして。大島雅夫の長男です。 父は本当に車を愛し、デザインを愛した人でした。 こちらのHPを偶然知り、こう言った形で、知らなかったエピソードに接することができ、大変嬉しく思います。父は真っ直ぐな性格であるが故に、時には周囲にご迷惑をおかけしたこともあるかと思います。ただ、良いものを作りたいという情熱は、私から見ても強烈でした。そんな父親の背中を見て育った私は、自分には無理と思い、全く違う道を進みましたが、今でも時々、昔のことを思い出し、追い越せないまでも、何とか追いつきたいと思う原動力になっていますので、今後も更なる情報のアップデートを楽しみにしています。 返信 Kiyoshi Honda より: 2023年4月22日 10:24 PM コメントをいただき大変嬉しいです。と言いますのは、大島さんのご家族にこのサイトの事をご連絡しなければと思いつつ、今日まで出来ていなかったからです。 私は大島さんの大学の後輩でもあり、入社早々ご自宅に伺ってミニカーコレクションを見せていただいたことを思い出します。大島さんはデザイン部門の中でも一番の車好きで、三菱500のオーナーズクラブの活動や三菱の旧車を集めたオートギャラリーの設立にも関わっておられましたね。当時の三菱自動車は意外に車好きが少ない会社でした。元々が重工であったせいかも知れませんが・・。そんな中で、大島さんの車に対する熱い思いは後輩として大変に頼もしく感じていました。そして、車づくりはビジネスである以上に車を愛する心が大切なんだと教えていただいたと思います。 これからもご期待に応えるべく、かつてのデザインの苦労話を紹介して行きますのでよろしくお願いいたします。 返信 大島Jr より: 2023年4月24日 9:13 AM ご返信、ありがとうございます。母にも伝えたいと思います。 ご存知かもしれませんが、僕の母も三菱の意匠部でお世話になり、野島さんの部下だったそうです。妹はラリーアートで働いていました。 不思議なもので、野島さんのご子息が僕と同業で、初めて声をかけられたとき、「お父さん、三菱のデザイナーでしょ?」と言われて、何でこの人はそんな事を知っているのかと、びっくりしました。「多分、いろいろご迷惑をおかけしましたね」と言ったら、ニヤッとして、「そうらしいね」と返されましたが(笑) オートギャラリーはずっと行きたかったのですが、コロナで行けませんでした。近々再開予定みたいですので、一度訪れたいと思います。 返信 Kiyoshi Honda より: 2023年4月24日 4:35 PM お母さまには大変ご無沙汰していますがよろしくお伝え下さい。妹さんがラリーアートにおられたとは知りませんでした。たしか社長の近藤さんと大島さんは同期だったのではないかと記憶しています。 このサイト作りではオートギャラリーに何度も足を運び大いに協力して頂きました。また、元館長の沖信一さんにも様々なかたちで応援して頂いています。三菱の旧車にスポットを当てるという意味では、オートギャラリーと私たちのサイトの志しは同じなのでこれからも連携をして行こうと思っています。 返信 Norihiro Yamasaki より: 2023年4月15日 11:23 PM 担当者さま はじめまして。まずは、このようなサイトに出会えて本当に良かったと思う、三菱車ファンです。 ありがとうございます。 私はミニキャブが好きなのですが、特に1991年登場の5代目、ブラボーのスピード感あふれるデザインには驚かされ、当時中学生でしたが一目ぼれし、家の車をブラボーに買い替えて貰いました。 昔、何かの雑誌で開発中のデザイン画等を見た記憶があるのですが、また見てみたいなぁと思ってますので、ご検討していただければ幸いです。(4代目モデルのセッサーノさんのデザインも興味があります)。 長くなりましたが、今後も楽しく拝見させていただきます。 返信 Kiyoshi Honda より: 2023年4月16日 9:35 PM Yamasakiさん、5代目ミニキャブは確かに乗用車的でスピード感あるデザインで特徴がありましたね。まだ今のところ記事にする見通しは立っていませんが、いつか取り上げたいと思います。 4代目ミニキャブがセッサーノ氏のデザインだと日本版Wikipedia や個人のブログで紹介されていますが、それは間違いです。このエクステリアデザインは私が担当したもので、セッサーノ氏はエクステリア、インテリアのどちらにも関与していません。ヨーロッパ調の外観から勝手な憶測が生まれたものかと思います。Wikipediaの記事には全て出典を記載しなければならないという規則がありますが、それを無視した記事が結構あるのは困ったものです。因みに、英語版Wikipedia のMinicabにはセッサーノ氏の名前は出ていません。それは、彼がミニキャブをデザインしたという三菱からの発表や信頼できる出版物はどこにも無いからです。4代目はこのこともあっていずれ記事にしますのでご期待下さい。 返信 なび☆えこ より: 2023年3月7日 11:27 PM (追加)連投失礼します。 ご存知ある方がいるかも知れませんが、片山徳夫さんの自叙伝「創造の喜び」は 国会図書館(館内閲覧のみ)と名古屋鶴舞中央図書館(市民向け貸し出しあり) に各1冊あります。水島で僅かに製造された3輪車も少し載っていた記憶です。 返信 Kiyoshi Honda より: 2023年3月9日 10:52 AM 試作3輪車の情報ありがとうございました。確かにイセッタ似のデザインですね。これまで諸先輩からも聞いたことがもなく、大変珍しいと思います。 また片山徳夫氏の本の紹介ありがとうございます。たしか三菱自動車創成期の話ですね。 返信 なび☆えこ より: 2023年3月10日 12:27 AM 返信有難う御座います。 今から10数年前に縁あってこの自叙伝を知り、その後に弟さんと連絡が取れ、 お墓参りもさせていただきました。 「シルバーピジョンの設計で市場の声を聞いているうちに重くなってしまった。 久保さんの元で新司偵設計時の1g単位で軽量化してきた精神を何処かに忘れ て来てしまった・・・」 「時代の流れとはゆえ、自分が作り出したシルバーピジョンたちがこの世から姿を消す のは残念なことです」みたいな文が記憶に残っています。 長々と失礼しました。 返信 なび☆えこ より: 2023年3月7日 10:49 PM 返信有難う御座いました。イセッタにそっくりな3輪車をツィッターで知りました。 https://twitter.com/suzukijii201709/status/1632180634000195585 返信 Kiyoshi Honda より: 2023年3月7日 5:53 PM WEBでお知りになったという3輪車の試作と言うものは分からないです。しかし、水島製作所で作っていたオート3輪をベースにしたタクシーが少量生産されていたという話は聞いています。 返信 なび☆えこ より: 2023年3月5日 9:22 PM こんにちは。WEBで初めて知ったのですが、昭和30年後半から40年初め位で 三菱さんが3輪車の試作(イセッタとそっくり)をされてと知りました。 エンジンはシルバーピジョンのものを流用しており、以前に記した片山徳夫さんの 自叙伝にも特に本件の記載などはありませんでした。 3輪車など、色々試作などされていたんでしょうか? 返信 あつしM より: 2023年1月7日 9:38 AM 子供の頃、我が家にクルマは無かったのですが母方の親戚は三菱党でした。叔母は初代ミニカ、コルトギャランと乗り継ぎ、叔父はクモの巣が張った小部屋から生まれた三菱500でした。 私が5~6歳の頃の夏、叔父夫妻とプードル、母とで4人+1匹がその三菱500に乗って、当時住んでいた東京の府中から叔父の家がある直江津までロングドライブをしました。もちろんすべて一般道で、休み休みでしたが1日がかりのドライブ。碓氷峠を上り終えて一直線のR18を快調に飛ばしている情景を今でも思い出します。そんな長いクルマ旅は初めてだったこともあり、60年近く経ったのに強烈に覚えています。その後クルマ好きになる原点が500だったかもしれません。ミツビシ車の思い出話でした。 返信 Kiyoshi Honda より: 2023年1月7日 9:39 PM 三菱車との関りが随分深かったのですね。三菱500が走っていた頃は、車に乗るということ自体がワクワクするものでした。私は高校生ごろまで家に車が無くて、母親がフォードコルチナを中古車を買った時はものすごく嬉しかったです。ただ、まだ免許を持って無かったので、もっぱら国道に行って車の写真を撮るのが趣味でした。また、その車のディーラーでもらったフォードの美しいカタログで車への夢が広がりました。 返信 佐藤 円士郎 より: 2023年1月4日 6:50 PM NHKの番組でコルト800の特集を見ました、美しいデザインだけどエンジンが不評だったことを開発スタッフだった岡野さんが発想は良いけど練りが足りないと語ってたのが印象に残りました。その後サイトを見て好きなデボネアの記事を読みました、全然売れなかったけど今になってデザインがアメリカンな旧車として人気になってるのをブレッツナーさんは喜んでいるのではと思いました。 返信 kiyoshi honda より: 2023年1月4日 9:52 PM ブレッツナーさんは古巣のジェネラルモーターズで必ずしも良いデザインを残した訳では無かったですが、三菱にとってはものすごく貴重な人材であったわけで、両者の巡り合せでデボネアという、ほんとに珍しい車が生まれたのだと思います。 1台の車が出来上がる背景には、色々な偶然や巡り合せが作用して、それが良い方向に行くこともあれば、悪い方向に行くこともあるものです。昔の事を振り返ると、そういう面白さがありますね。 返信 あつしM より: 2023年1月4日 3:23 PM はじめまして。ネットでこのサイトを知り、デザインストーリーを読みつつあるところです。 元旦のNHK-BSで放送された「探せ幻の絶版車」でコルト800が取り上げられていましたね。あのファストバックスタイルは子供の頃にカッコいい車だな、と思っていました。番組では岡野勝さんが開発者として取材されていました。日本のクルマ産業の熱い時代を感じました。 これからもコンテンツが充実してゆくことを期待しております。 返信 kiyoshi honda より: 2023年1月4日 9:39 PM 岡野さんは、当時の新三菱重工水島製作所で初めてデザイナーとして採用された方です。当時の自動車デザインは手探り状態で試行錯誤の連続だった様です。特に、三菱は後発メーカーでしたからトヨタ、日産になんとか追い付く為に情熱を燃やしていたと思います。 返信 大石秀夫 より: 2023年1月2日 4:38 PM 三菱の開発部門に在籍してた者です。素晴らしい出来栄えに感心しました。よくまとまっています。 セッサーノ事務所には、モデルの作成工程を見に行きました。また、完成した車を同事務所に届けました。重広さん、三橋さん、上砂さん、野島さん、吉沢、大島など、諸兄のことを懐かしく思い出します。美を追求された皆様の努力と成果に感謝します。 返信 Kiyoshi Honda より: 2023年1月3日 12:16 PM 大石さん、ご感想ありがとうございます。昨年12月にこのサイトを公開して以来、国内外からメッセージを頂いていて、仲間と共に2年半かけて作った甲斐がありました。OBの方々と久しぶりのやり取りが出来たのもこのおかげです。また、大島さんデザインの初代ミラージュがセッサーノ氏のデザインだという根も葉もない情報が世界に広まっていたことに、答えを出すことも出来ました。最古参の三橋さんには昨年久しぶりに京都のお宅でお会いして、貴重な話を色々と伺いました。 これからも、セッサーノ氏がからんだランサーEXなど、ぼちぼちと新し記事を追加して行きますので時々ご覧いただければありがたいです。 返信 藤井智 より: 2022年12月25日 8:03 PM はじめまして。 ネットのニュースでこちらのサイトを知りました。 当方、ミニカ・スキッパーを叔父→父→私と50年ほどに渡り新車より所有しており、今の仕事に至るまで、人生のベースになった車だと思っております。 また、当時のカタログや雑誌、マニュアル等も持っています。 しかし、近年は2ストで排ガスひどいため乗れていません。 当時の雑誌にもデザインについて試行錯誤したことが載っていますが、ぜひこちらのサイトでも拝見できたらなぁと思っております。 返信 Kiyoshi Honda より: 2022年12月26日 9:08 AM ミニカスキッパーを50年持っておられると聞いて驚きました。私が入社して間もなく発売されましたね。これは後にギャランラムダをデザインした貝淵龍さんのデザインで、リヤのスクープドウインドウが大胆でした。ラムダの記事に貝淵さんの人柄が書いてありますが、とてもユニークな人で、思い切ったデザインをするかと思えば、2代目デリカの様に極めてまともなデザインもする人で、物事を直感で割り切る人でした。 今のところスキッパーの記事を掲載する予定はないのですが、メンバーと相談させて下さい。 今となっては大変珍しい車ですのでこれからも大切にして下さい。 返信 勝野久俊 より: 2022年12月19日 2:30 PM 本多様、ご無沙汰しています。勝野です。今だに、1/64やデフォルメのミニカーで、小粒ですが車に携わる仕事を続けていられるのは、あの新人時代の多くの経験が出発点になっています。改めてご指導をありがとうございました。「デザインヒストリー」拝読いたしました。各車のデザイン過程や執筆者と登場人物のお名前に、面白さと懐かしさが入り混じった素敵なひと時を過ごす事が出来ました。古いですが好きだったミニカ・スキッパー、ギャランVR-4、ランエボの進化の過程、ダイナミックシールドの誕生の経緯などまだまだ興味の尽きないテーマが目白押しで控えていると思うと続きが楽しみです。フォーラムの更なる充実と発展、さらには書籍化までを願いつつ、今後も拝読させていただきます。 返信 kiyoshi honda より: 2022年12月19日 9:17 PM 勝野さん、本当にお久しぶりです。今回パジェロの原稿を書く中で、当時一緒に仕事をしたことをあれこれ思い出しました。勝野さんの描いたスケッチはよく覚えていたのですが、今回その写真が見つからず残念です。いま思い返すと、あの頃僕は結構先輩づらしていた気がしますが、その後歳を取って、何かしら誰かに喜んでもらえる事をしたい、という気持ちもあってこのサイトを仲間と作りました。勝野さんは車のTOYの仕事でご活躍とは良いですね。何かに愛着を持つというのは人にとって必要なことだと思います。 このサイト、ご期待に応えられるよう引き続いて新しい記事をアップしていこうと思いますので、これからもよろしくお願いします。 返信 藤野孝爾 より: 2022年12月18日 8:40 AM 三橋慎一様、本多潔様 元MMC生産技術の藤野孝爾です。MMCデザインのアーカイブサイト、懐かしく拝見させていただきました。ここまで纏められたご尽力に敬服しております。小生は、昭和40年代前半から、デザインされた線図の数値化(NC化)に取り組み、二村正孝さんの意匠課、線図室の長谷川さんなど多くの方に、お世話になりました。CADやコンピュータグラフィックスの無い当時は、現在では想像できない試行錯誤がありましたが、新たなチャレンジに燃えた時代でした。 返信 Kiyoshi Honda より: 2022年12月18日 10:06 AM 藤野様 生産技術の皆様には色々とお世話になりました。当時、ドリップチャンネルのほんの数ミリのことで、生技や設計の方々と延々と打合せました。それも今では良い思い出です。 今後も引き続き記事を追加していきますのでご期待下さい。 返信 なびえこ より: 2022年12月15日 10:28 PM TO:皆さま 先ずは「三菱カーデザインの軌跡」のサイト立ち上げ有難う御座いました。 私は趣味で旧車デザインや開発者などを個人で探求しており、戦前戦後の 三菱で活躍された片山徳夫さんの親族と接点を持つことが出来ました。 これからも宜しくお願いします。 返信 Kiyoshi Honda より: 2022年12月16日 10:19 AM なびえこさん、私もつい最近片山徳夫さんのことを知りました。歴史の中には学べることや感動できることがたくさんありますね。このサイト、これからも今まで知られてない情報を発信していきますのでよろしくお願いいたします。 返信 ギャランGTOネットワーク より: 2022年12月12日 3:03 PM 本多さま ご丁寧にどうもありがとうございます。 多くの方々に見て頂きたいので、当GTOホームページにリンクをさせて頂きました。 数少ない三菱旧車にスポットを当てていただき感謝します。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。 三橋さま 2010年に上砂さん、2013年には三橋さんに講話を頂けた事は私達オーナーにとって 大スターであり、サインを頂いた時はこの上なく嬉しく舞い上がった事を思い出します! ギャランシグマの○山君なんて感激で泣いてましたから・・・私達は一生忘れない出来事です。 このお陰で、2015年には江口デザイナーと上砂さんに来場頂き久々に再会されて感激でした。 50周年が出来なかった事は残念でしたが、岡崎工場が受入可になった際にはまた集まりたいです。 返信 ギャランGTOネットワーク より: 2022年12月10日 6:16 PM 三菱カーデザインの軌跡HP 開設立ち上げおめでとうございます。 三橋さんよりお知らせを頂き拝見していますが、初めて知る素晴らしい記事の数々感激しています。 ギャランGTOのストーリー本を関係者の方々のお話を伺い50周年記念で出したいと思っていまして、 上砂さんに資料提供やインタビューに伺う予定でしたが、コロナ禍緊急事態制限等自粛で中止になり 当時のGTO開発社内資料承諾関係も困難で一個人の力では難しいと思っており断念し、 また岡崎での50周年記念会も自粛で実現出来ず、その後上砂さんが翌年お亡くなりになられたと伺い もう二度と上砂さんのお話が聴けない、お逢い出来ないのだと非常に残念な思いでありました。 この様な形で公開頂き今、半世紀前のGTOと上砂デザイナーの事を知って頂く機会が出来ました事を OB関係者の皆様には感謝の念に堪えません。また三橋さん、貴重なお話をありがとうございました。 ギャランGTOはまだまだ元気に走ります!三菱ファンとして今後のストーリーに期待しております。 返信 Kiyoshi Honda より: 2022年12月11日 2:49 PM ギャランGTOネットワーク様 代表の本多です。メッセージをありがとうございます。今回私自身も見たことのないスケッチやモデルの写真を発見し、様々な新事実も知ることができました。それらを国内外の三菱車ファンの皆様と共有できたことは、大きな収穫であり喜びです。 以下に三橋さんからのメッセージを記します。 「本来なら上砂君に書いてもらうのですが残念です。コルトギャランシリーズは4ドアセダン、2ドアハードトップ、、エステート版、GTO、FTOとつづくのですが、私がシリーズのまとめ役だったので、書くことになりました。上砂君は京都の小学校から高校まで私と同じ学校で、2年後輩でした。なので名古屋の三菱に就職試験に来た時はびっくり、面接官はたった2年先輩の私に任されたのですが、ザックバランな世間話で終わった事を覚えています。仕事の上では彼から多くの刺激を受けました。豪放に見えて綿密な見配りがあり、それが魅力でした。退職後も私のギャラリーに小学校の同窓会のメンバーを連れて良く訪ねて来てくれたものです。 「ギャランGTOネットワーク」の皆様には、2013年に京都工場で行われたミーティングでお会いしました。全国から集まった多数のメンバーと、20台を超えるGTOが並んだ光景は見事なもので、熱烈なファンの存在をこんなに有り難く思ったことはありませんでした。これからも、GTOはじめ三菱車を、そして新しいサイトも、よろしくお願い致します。」 返信 Kiyoshi Honda より: 2022年12月11日 5:17 PM ギャランGTOネットワーク様 先ほどの返信で、三橋さんのメッセージ中に間違いがありました。正しくは「エステートバン」、「綿密な目配り」です。三橋さんは直接ここに書き込めないため、私がメッセージを書き写した際に間違いました。「右クリック禁止」の設定でコピペができない事情もありますが、とにかく失礼いたしました。 本多 返信 mcdt より: 2022年12月9日 11:13 AM 丸山さん、たしかアメリカでお会いしたかと思いますが、退職されたのですね。人生これからが楽しいですよ。 ご感想ありがとうございます。このサイト作り、「こりゃ大変だろうな」と思いながらも、飛び込んでみたらやはり予想どおりでした。色々ありましたが、これまでいろいろ経験を積んだせいか、苦労というよりも、新事実の発見や執筆者の面々とのやり取りを楽しみながらやることが出来ました。OB同士のつながりが蘇るという大きな副次効果も生まれました。 おっしゃる通り、これからもストーリーやイラストを追加していきますのでご期待下さい。 返信 丸山 公顧 より: 2022年12月8日 10:22 PM 本多さん、 ご無沙汰しております。元いすゞの丸山です。 素晴らしいウエブサイト、おめでとうございます。ファイスブックで偶然発見して、拝見させていただきました。資料の正確さや内容の濃さ、読みごたえどれをとっても素晴らしい内容で感動しました。私も在職中に過去の歴史を調べたり、記事にまとめたりした経験があるので、大変さやご苦労を想像しながら大きな意志と情熱を形にされたことに大きな敬意を感じている次第です。 まだ続きもあると思いますので、今後も楽しみに拝見させて頂きたいと思っております。 丸山 返信 Y.N より: 2022年12月7日 10:28 PM 内容が面白く一気に読ませて頂きました。 デザイナーでもあり、サラリーマンでもある苦悩がリアルに伝わってくる内容で、その中でも熱意を持って仕事に取り組まれてる様子が読んでいて胸が熱くなりました。 自動車を取り巻く環境は今も昔もその時代や社会の潮流に揉まれているのだと気付かされ、100年に一度の変革期と言われる今の時代を生きる開発者の方への何かヒントになりそうな、そんな良いコンテツだなと思いました。 過剰な忖度もない、筆者の方の素直な文章がとても魅力なので、この調子で今後も更新を楽しみにしております。 返信 Kiyoshi Honda より: 2022年12月8日 11:34 AM Y.Nさん、お褒めの言葉をいただいて恐れ入ります。ご指摘の通り、OBとして遠くから当時を振り返り、ありのままを皆さんに伝えることにこのサイトの意味があると考え、それを筆者の方々にお願いしました。Y.Nさんの言葉を励みにして、次の記事に取り組みたいと思います。 返信 N.M より: 2022年12月7日 12:05 AM 現在ランサーEXとスタリオンに乗っている一般のペーペーです スタリオンの2ドアモデルの話があったのは存じ上げておりましたが実際の写真を見るのは初めてで興奮しました またランサーEXは社外のデザイナーによるものだと伺っておりますがデザイン案から市販までの話等お聞かせ願えたら嬉しく思います 貴重な資料見させていただきありがとうございました 返信 Kiyoshi Honda より: 2022年12月7日 8:39 AM スタリオンは相当な紆余曲折の末に生まれた車でした。一方で何の問題もなくスンナリと決まるデザインもあるわけで、その時々の状況で色々ですね。 ランサーEXは、アルド・セッサーノ氏のデザインを元に社内のデザインチームがまとめたものです。現在その記事を準備中で、何れアップしますのでご期待ください。 私たちが若い頃に情熱を注いだ車に愛着を持っていただき、ありがとうございます。 返信 平賀 一洋 より: 2022年12月6日 7:36 PM 本多先輩 ご無沙汰しております、開設のお知らせありがとうございました。 まだ数ページを拝見しただけですが、濃い内容と豊富な画像、そして知らなかった内容等、 ワクワクしながら見ておりましたらこちらのフォーラムに気づき、取り急ぎお祝いの書き込みをさせていただきます。 このページが三菱自動車のデザイン部の歴史を、多くの人に知ってもらえるきっかけになっていただけるよう、微力ながら存在を広めていきたいと思います。 これからもよろしくお願いいたします。 平賀一洋 返信 Kiyoshi Honda より: 2022年12月6日 10:14 PM 平賀さん このサイト、ネット上の三菱デザインについての誤りを正したいという考えで始めましたが、やってるうちに、こうした開発現場の様子をありのままに残すことの意義を感じる様になりました。これを会社がやると体裁を整えたものなりがちですが、いわば第三者となったOBがやることで、リアリティのあるものが出来るのではないかと思います。 返信 青柳新吾 より: 2022年12月6日 2:32 PM 本多さん 青柳です、お久しぶりです! 仲西さんからコトの経緯はお聞きしていました。 今見ても心躍るイラストと貴重な写真の数々。 大変だったと思いますが、歴史は何よりも未来を作る礎だと思います。 三菱ブランドの躍進に向け、本当に嬉しく思っています。 青柳新吾 返信 Kiyoshi Honda より: 2022年12月6日 3:33 PM 青柳さん、ほんとにお久しぶりですね。 感想ありがとうございます。昔を掘り返してみたら結構なお宝が見つかりました。 今後も更に面白いものが出せるかもしれません。ご期待ください。 返信 Yoshihiko Nakada より: 2022年12月6日 8:22 AM 素晴らしき先輩方の仕事が集約されたサイトの開設、おめでとうございます。 営業部門でこれら商品(もちろん全てではありませんが、スピリットやテイストを引き継いだ)の販促に関われましたことは幸せです。 私は著述作で、モータースポーツを通した三菱自動車の軌跡をこれからも綴って参ります。 返信 Kiyoshi Honda より: 2022年12月6日 10:33 AM 早速のコメントありがとうございます。三菱のデザイン本部や三菱オートギャラリーの協力をえて 公開にこぎつけました。また、Nakadaさんに送って頂いた資料も役立ちました。感謝しています。いまちょうど、ラリーアートの復活や篠塚さんの殿堂入りなど、良いニュースがある中で、三菱車に関心が集まることを願っています。それから、これからのNakadaさんの記事を楽しみにしています。 返信 コメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 Δ
初めまして。大島雅夫の長男です。
父は本当に車を愛し、デザインを愛した人でした。
こちらのHPを偶然知り、こう言った形で、知らなかったエピソードに接することができ、大変嬉しく思います。父は真っ直ぐな性格であるが故に、時には周囲にご迷惑をおかけしたこともあるかと思います。ただ、良いものを作りたいという情熱は、私から見ても強烈でした。そんな父親の背中を見て育った私は、自分には無理と思い、全く違う道を進みましたが、今でも時々、昔のことを思い出し、追い越せないまでも、何とか追いつきたいと思う原動力になっていますので、今後も更なる情報のアップデートを楽しみにしています。
コメントをいただき大変嬉しいです。と言いますのは、大島さんのご家族にこのサイトの事をご連絡しなければと思いつつ、今日まで出来ていなかったからです。
私は大島さんの大学の後輩でもあり、入社早々ご自宅に伺ってミニカーコレクションを見せていただいたことを思い出します。大島さんはデザイン部門の中でも一番の車好きで、三菱500のオーナーズクラブの活動や三菱の旧車を集めたオートギャラリーの設立にも関わっておられましたね。当時の三菱自動車は意外に車好きが少ない会社でした。元々が重工であったせいかも知れませんが・・。そんな中で、大島さんの車に対する熱い思いは後輩として大変に頼もしく感じていました。そして、車づくりはビジネスである以上に車を愛する心が大切なんだと教えていただいたと思います。
これからもご期待に応えるべく、かつてのデザインの苦労話を紹介して行きますのでよろしくお願いいたします。
ご返信、ありがとうございます。母にも伝えたいと思います。
ご存知かもしれませんが、僕の母も三菱の意匠部でお世話になり、野島さんの部下だったそうです。妹はラリーアートで働いていました。
不思議なもので、野島さんのご子息が僕と同業で、初めて声をかけられたとき、「お父さん、三菱のデザイナーでしょ?」と言われて、何でこの人はそんな事を知っているのかと、びっくりしました。「多分、いろいろご迷惑をおかけしましたね」と言ったら、ニヤッとして、「そうらしいね」と返されましたが(笑)
オートギャラリーはずっと行きたかったのですが、コロナで行けませんでした。近々再開予定みたいですので、一度訪れたいと思います。
お母さまには大変ご無沙汰していますがよろしくお伝え下さい。妹さんがラリーアートにおられたとは知りませんでした。たしか社長の近藤さんと大島さんは同期だったのではないかと記憶しています。
このサイト作りではオートギャラリーに何度も足を運び大いに協力して頂きました。また、元館長の沖信一さんにも様々なかたちで応援して頂いています。三菱の旧車にスポットを当てるという意味では、オートギャラリーと私たちのサイトの志しは同じなのでこれからも連携をして行こうと思っています。
担当者さま
はじめまして。まずは、このようなサイトに出会えて本当に良かったと思う、三菱車ファンです。
ありがとうございます。
私はミニキャブが好きなのですが、特に1991年登場の5代目、ブラボーのスピード感あふれるデザインには驚かされ、当時中学生でしたが一目ぼれし、家の車をブラボーに買い替えて貰いました。
昔、何かの雑誌で開発中のデザイン画等を見た記憶があるのですが、また見てみたいなぁと思ってますので、ご検討していただければ幸いです。(4代目モデルのセッサーノさんのデザインも興味があります)。
長くなりましたが、今後も楽しく拝見させていただきます。
Yamasakiさん、5代目ミニキャブは確かに乗用車的でスピード感あるデザインで特徴がありましたね。まだ今のところ記事にする見通しは立っていませんが、いつか取り上げたいと思います。
4代目ミニキャブがセッサーノ氏のデザインだと日本版Wikipedia や個人のブログで紹介されていますが、それは間違いです。このエクステリアデザインは私が担当したもので、セッサーノ氏はエクステリア、インテリアのどちらにも関与していません。ヨーロッパ調の外観から勝手な憶測が生まれたものかと思います。Wikipediaの記事には全て出典を記載しなければならないという規則がありますが、それを無視した記事が結構あるのは困ったものです。因みに、英語版Wikipedia のMinicabにはセッサーノ氏の名前は出ていません。それは、彼がミニキャブをデザインしたという三菱からの発表や信頼できる出版物はどこにも無いからです。4代目はこのこともあっていずれ記事にしますのでご期待下さい。
(追加)連投失礼します。
ご存知ある方がいるかも知れませんが、片山徳夫さんの自叙伝「創造の喜び」は
国会図書館(館内閲覧のみ)と名古屋鶴舞中央図書館(市民向け貸し出しあり)
に各1冊あります。水島で僅かに製造された3輪車も少し載っていた記憶です。
試作3輪車の情報ありがとうございました。確かにイセッタ似のデザインですね。これまで諸先輩からも聞いたことがもなく、大変珍しいと思います。
また片山徳夫氏の本の紹介ありがとうございます。たしか三菱自動車創成期の話ですね。
返信有難う御座います。
今から10数年前に縁あってこの自叙伝を知り、その後に弟さんと連絡が取れ、
お墓参りもさせていただきました。
「シルバーピジョンの設計で市場の声を聞いているうちに重くなってしまった。
久保さんの元で新司偵設計時の1g単位で軽量化してきた精神を何処かに忘れ
て来てしまった・・・」
「時代の流れとはゆえ、自分が作り出したシルバーピジョンたちがこの世から姿を消す
のは残念なことです」みたいな文が記憶に残っています。
長々と失礼しました。
返信有難う御座いました。イセッタにそっくりな3輪車をツィッターで知りました。
https://twitter.com/suzukijii201709/status/1632180634000195585
WEBでお知りになったという3輪車の試作と言うものは分からないです。しかし、水島製作所で作っていたオート3輪をベースにしたタクシーが少量生産されていたという話は聞いています。
こんにちは。WEBで初めて知ったのですが、昭和30年後半から40年初め位で
三菱さんが3輪車の試作(イセッタとそっくり)をされてと知りました。
エンジンはシルバーピジョンのものを流用しており、以前に記した片山徳夫さんの
自叙伝にも特に本件の記載などはありませんでした。
3輪車など、色々試作などされていたんでしょうか?
子供の頃、我が家にクルマは無かったのですが母方の親戚は三菱党でした。叔母は初代ミニカ、コルトギャランと乗り継ぎ、叔父はクモの巣が張った小部屋から生まれた三菱500でした。
私が5~6歳の頃の夏、叔父夫妻とプードル、母とで4人+1匹がその三菱500に乗って、当時住んでいた東京の府中から叔父の家がある直江津までロングドライブをしました。もちろんすべて一般道で、休み休みでしたが1日がかりのドライブ。碓氷峠を上り終えて一直線のR18を快調に飛ばしている情景を今でも思い出します。そんな長いクルマ旅は初めてだったこともあり、60年近く経ったのに強烈に覚えています。その後クルマ好きになる原点が500だったかもしれません。ミツビシ車の思い出話でした。
三菱車との関りが随分深かったのですね。三菱500が走っていた頃は、車に乗るということ自体がワクワクするものでした。私は高校生ごろまで家に車が無くて、母親がフォードコルチナを中古車を買った時はものすごく嬉しかったです。ただ、まだ免許を持って無かったので、もっぱら国道に行って車の写真を撮るのが趣味でした。また、その車のディーラーでもらったフォードの美しいカタログで車への夢が広がりました。
NHKの番組でコルト800の特集を見ました、美しいデザインだけどエンジンが不評だったことを開発スタッフだった岡野さんが発想は良いけど練りが足りないと語ってたのが印象に残りました。その後サイトを見て好きなデボネアの記事を読みました、全然売れなかったけど今になってデザインがアメリカンな旧車として人気になってるのをブレッツナーさんは喜んでいるのではと思いました。
ブレッツナーさんは古巣のジェネラルモーターズで必ずしも良いデザインを残した訳では無かったですが、三菱にとってはものすごく貴重な人材であったわけで、両者の巡り合せでデボネアという、ほんとに珍しい車が生まれたのだと思います。
1台の車が出来上がる背景には、色々な偶然や巡り合せが作用して、それが良い方向に行くこともあれば、悪い方向に行くこともあるものです。昔の事を振り返ると、そういう面白さがありますね。
はじめまして。ネットでこのサイトを知り、デザインストーリーを読みつつあるところです。
元旦のNHK-BSで放送された「探せ幻の絶版車」でコルト800が取り上げられていましたね。あのファストバックスタイルは子供の頃にカッコいい車だな、と思っていました。番組では岡野勝さんが開発者として取材されていました。日本のクルマ産業の熱い時代を感じました。
これからもコンテンツが充実してゆくことを期待しております。
岡野さんは、当時の新三菱重工水島製作所で初めてデザイナーとして採用された方です。当時の自動車デザインは手探り状態で試行錯誤の連続だった様です。特に、三菱は後発メーカーでしたからトヨタ、日産になんとか追い付く為に情熱を燃やしていたと思います。
三菱の開発部門に在籍してた者です。素晴らしい出来栄えに感心しました。よくまとまっています。
セッサーノ事務所には、モデルの作成工程を見に行きました。また、完成した車を同事務所に届けました。重広さん、三橋さん、上砂さん、野島さん、吉沢、大島など、諸兄のことを懐かしく思い出します。美を追求された皆様の努力と成果に感謝します。
大石さん、ご感想ありがとうございます。昨年12月にこのサイトを公開して以来、国内外からメッセージを頂いていて、仲間と共に2年半かけて作った甲斐がありました。OBの方々と久しぶりのやり取りが出来たのもこのおかげです。また、大島さんデザインの初代ミラージュがセッサーノ氏のデザインだという根も葉もない情報が世界に広まっていたことに、答えを出すことも出来ました。最古参の三橋さんには昨年久しぶりに京都のお宅でお会いして、貴重な話を色々と伺いました。
これからも、セッサーノ氏がからんだランサーEXなど、ぼちぼちと新し記事を追加して行きますので時々ご覧いただければありがたいです。
はじめまして。
ネットのニュースでこちらのサイトを知りました。
当方、ミニカ・スキッパーを叔父→父→私と50年ほどに渡り新車より所有しており、今の仕事に至るまで、人生のベースになった車だと思っております。
また、当時のカタログや雑誌、マニュアル等も持っています。
しかし、近年は2ストで排ガスひどいため乗れていません。
当時の雑誌にもデザインについて試行錯誤したことが載っていますが、ぜひこちらのサイトでも拝見できたらなぁと思っております。
ミニカスキッパーを50年持っておられると聞いて驚きました。私が入社して間もなく発売されましたね。これは後にギャランラムダをデザインした貝淵龍さんのデザインで、リヤのスクープドウインドウが大胆でした。ラムダの記事に貝淵さんの人柄が書いてありますが、とてもユニークな人で、思い切ったデザインをするかと思えば、2代目デリカの様に極めてまともなデザインもする人で、物事を直感で割り切る人でした。
今のところスキッパーの記事を掲載する予定はないのですが、メンバーと相談させて下さい。
今となっては大変珍しい車ですのでこれからも大切にして下さい。
本多様、ご無沙汰しています。勝野です。今だに、1/64やデフォルメのミニカーで、小粒ですが車に携わる仕事を続けていられるのは、あの新人時代の多くの経験が出発点になっています。改めてご指導をありがとうございました。「デザインヒストリー」拝読いたしました。各車のデザイン過程や執筆者と登場人物のお名前に、面白さと懐かしさが入り混じった素敵なひと時を過ごす事が出来ました。古いですが好きだったミニカ・スキッパー、ギャランVR-4、ランエボの進化の過程、ダイナミックシールドの誕生の経緯などまだまだ興味の尽きないテーマが目白押しで控えていると思うと続きが楽しみです。フォーラムの更なる充実と発展、さらには書籍化までを願いつつ、今後も拝読させていただきます。
勝野さん、本当にお久しぶりです。今回パジェロの原稿を書く中で、当時一緒に仕事をしたことをあれこれ思い出しました。勝野さんの描いたスケッチはよく覚えていたのですが、今回その写真が見つからず残念です。いま思い返すと、あの頃僕は結構先輩づらしていた気がしますが、その後歳を取って、何かしら誰かに喜んでもらえる事をしたい、という気持ちもあってこのサイトを仲間と作りました。勝野さんは車のTOYの仕事でご活躍とは良いですね。何かに愛着を持つというのは人にとって必要なことだと思います。
このサイト、ご期待に応えられるよう引き続いて新しい記事をアップしていこうと思いますので、これからもよろしくお願いします。
三橋慎一様、本多潔様
元MMC生産技術の藤野孝爾です。MMCデザインのアーカイブサイト、懐かしく拝見させていただきました。ここまで纏められたご尽力に敬服しております。小生は、昭和40年代前半から、デザインされた線図の数値化(NC化)に取り組み、二村正孝さんの意匠課、線図室の長谷川さんなど多くの方に、お世話になりました。CADやコンピュータグラフィックスの無い当時は、現在では想像できない試行錯誤がありましたが、新たなチャレンジに燃えた時代でした。
藤野様
生産技術の皆様には色々とお世話になりました。当時、ドリップチャンネルのほんの数ミリのことで、生技や設計の方々と延々と打合せました。それも今では良い思い出です。
今後も引き続き記事を追加していきますのでご期待下さい。
TO:皆さま
先ずは「三菱カーデザインの軌跡」のサイト立ち上げ有難う御座いました。
私は趣味で旧車デザインや開発者などを個人で探求しており、戦前戦後の
三菱で活躍された片山徳夫さんの親族と接点を持つことが出来ました。
これからも宜しくお願いします。
なびえこさん、私もつい最近片山徳夫さんのことを知りました。歴史の中には学べることや感動できることがたくさんありますね。このサイト、これからも今まで知られてない情報を発信していきますのでよろしくお願いいたします。
本多さま
ご丁寧にどうもありがとうございます。
多くの方々に見て頂きたいので、当GTOホームページにリンクをさせて頂きました。
数少ない三菱旧車にスポットを当てていただき感謝します。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
三橋さま
2010年に上砂さん、2013年には三橋さんに講話を頂けた事は私達オーナーにとって
大スターであり、サインを頂いた時はこの上なく嬉しく舞い上がった事を思い出します!
ギャランシグマの○山君なんて感激で泣いてましたから・・・私達は一生忘れない出来事です。
このお陰で、2015年には江口デザイナーと上砂さんに来場頂き久々に再会されて感激でした。
50周年が出来なかった事は残念でしたが、岡崎工場が受入可になった際にはまた集まりたいです。
三菱カーデザインの軌跡HP 開設立ち上げおめでとうございます。
三橋さんよりお知らせを頂き拝見していますが、初めて知る素晴らしい記事の数々感激しています。
ギャランGTOのストーリー本を関係者の方々のお話を伺い50周年記念で出したいと思っていまして、
上砂さんに資料提供やインタビューに伺う予定でしたが、コロナ禍緊急事態制限等自粛で中止になり
当時のGTO開発社内資料承諾関係も困難で一個人の力では難しいと思っており断念し、
また岡崎での50周年記念会も自粛で実現出来ず、その後上砂さんが翌年お亡くなりになられたと伺い
もう二度と上砂さんのお話が聴けない、お逢い出来ないのだと非常に残念な思いでありました。
この様な形で公開頂き今、半世紀前のGTOと上砂デザイナーの事を知って頂く機会が出来ました事を
OB関係者の皆様には感謝の念に堪えません。また三橋さん、貴重なお話をありがとうございました。
ギャランGTOはまだまだ元気に走ります!三菱ファンとして今後のストーリーに期待しております。
ギャランGTOネットワーク様
代表の本多です。メッセージをありがとうございます。今回私自身も見たことのないスケッチやモデルの写真を発見し、様々な新事実も知ることができました。それらを国内外の三菱車ファンの皆様と共有できたことは、大きな収穫であり喜びです。
以下に三橋さんからのメッセージを記します。
「本来なら上砂君に書いてもらうのですが残念です。コルトギャランシリーズは4ドアセダン、2ドアハードトップ、、エステート版、GTO、FTOとつづくのですが、私がシリーズのまとめ役だったので、書くことになりました。上砂君は京都の小学校から高校まで私と同じ学校で、2年後輩でした。なので名古屋の三菱に就職試験に来た時はびっくり、面接官はたった2年先輩の私に任されたのですが、ザックバランな世間話で終わった事を覚えています。仕事の上では彼から多くの刺激を受けました。豪放に見えて綿密な見配りがあり、それが魅力でした。退職後も私のギャラリーに小学校の同窓会のメンバーを連れて良く訪ねて来てくれたものです。
「ギャランGTOネットワーク」の皆様には、2013年に京都工場で行われたミーティングでお会いしました。全国から集まった多数のメンバーと、20台を超えるGTOが並んだ光景は見事なもので、熱烈なファンの存在をこんなに有り難く思ったことはありませんでした。これからも、GTOはじめ三菱車を、そして新しいサイトも、よろしくお願い致します。」
ギャランGTOネットワーク様
先ほどの返信で、三橋さんのメッセージ中に間違いがありました。正しくは「エステートバン」、「綿密な目配り」です。三橋さんは直接ここに書き込めないため、私がメッセージを書き写した際に間違いました。「右クリック禁止」の設定でコピペができない事情もありますが、とにかく失礼いたしました。
本多
丸山さん、たしかアメリカでお会いしたかと思いますが、退職されたのですね。人生これからが楽しいですよ。
ご感想ありがとうございます。このサイト作り、「こりゃ大変だろうな」と思いながらも、飛び込んでみたらやはり予想どおりでした。色々ありましたが、これまでいろいろ経験を積んだせいか、苦労というよりも、新事実の発見や執筆者の面々とのやり取りを楽しみながらやることが出来ました。OB同士のつながりが蘇るという大きな副次効果も生まれました。
おっしゃる通り、これからもストーリーやイラストを追加していきますのでご期待下さい。
本多さん、
ご無沙汰しております。元いすゞの丸山です。
素晴らしいウエブサイト、おめでとうございます。ファイスブックで偶然発見して、拝見させていただきました。資料の正確さや内容の濃さ、読みごたえどれをとっても素晴らしい内容で感動しました。私も在職中に過去の歴史を調べたり、記事にまとめたりした経験があるので、大変さやご苦労を想像しながら大きな意志と情熱を形にされたことに大きな敬意を感じている次第です。
まだ続きもあると思いますので、今後も楽しみに拝見させて頂きたいと思っております。
丸山
内容が面白く一気に読ませて頂きました。
デザイナーでもあり、サラリーマンでもある苦悩がリアルに伝わってくる内容で、その中でも熱意を持って仕事に取り組まれてる様子が読んでいて胸が熱くなりました。
自動車を取り巻く環境は今も昔もその時代や社会の潮流に揉まれているのだと気付かされ、100年に一度の変革期と言われる今の時代を生きる開発者の方への何かヒントになりそうな、そんな良いコンテツだなと思いました。
過剰な忖度もない、筆者の方の素直な文章がとても魅力なので、この調子で今後も更新を楽しみにしております。
Y.Nさん、お褒めの言葉をいただいて恐れ入ります。ご指摘の通り、OBとして遠くから当時を振り返り、ありのままを皆さんに伝えることにこのサイトの意味があると考え、それを筆者の方々にお願いしました。Y.Nさんの言葉を励みにして、次の記事に取り組みたいと思います。
現在ランサーEXとスタリオンに乗っている一般のペーペーです
スタリオンの2ドアモデルの話があったのは存じ上げておりましたが実際の写真を見るのは初めてで興奮しました
またランサーEXは社外のデザイナーによるものだと伺っておりますがデザイン案から市販までの話等お聞かせ願えたら嬉しく思います
貴重な資料見させていただきありがとうございました
スタリオンは相当な紆余曲折の末に生まれた車でした。一方で何の問題もなくスンナリと決まるデザインもあるわけで、その時々の状況で色々ですね。
ランサーEXは、アルド・セッサーノ氏のデザインを元に社内のデザインチームがまとめたものです。現在その記事を準備中で、何れアップしますのでご期待ください。
私たちが若い頃に情熱を注いだ車に愛着を持っていただき、ありがとうございます。
本多先輩
ご無沙汰しております、開設のお知らせありがとうございました。
まだ数ページを拝見しただけですが、濃い内容と豊富な画像、そして知らなかった内容等、
ワクワクしながら見ておりましたらこちらのフォーラムに気づき、取り急ぎお祝いの書き込みをさせていただきます。
このページが三菱自動車のデザイン部の歴史を、多くの人に知ってもらえるきっかけになっていただけるよう、微力ながら存在を広めていきたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
平賀一洋
平賀さん
このサイト、ネット上の三菱デザインについての誤りを正したいという考えで始めましたが、やってるうちに、こうした開発現場の様子をありのままに残すことの意義を感じる様になりました。これを会社がやると体裁を整えたものなりがちですが、いわば第三者となったOBがやることで、リアリティのあるものが出来るのではないかと思います。
本多さん
青柳です、お久しぶりです!
仲西さんからコトの経緯はお聞きしていました。
今見ても心躍るイラストと貴重な写真の数々。
大変だったと思いますが、歴史は何よりも未来を作る礎だと思います。
三菱ブランドの躍進に向け、本当に嬉しく思っています。
青柳新吾
青柳さん、ほんとにお久しぶりですね。
感想ありがとうございます。昔を掘り返してみたら結構なお宝が見つかりました。
今後も更に面白いものが出せるかもしれません。ご期待ください。
素晴らしき先輩方の仕事が集約されたサイトの開設、おめでとうございます。
営業部門でこれら商品(もちろん全てではありませんが、スピリットやテイストを引き継いだ)の販促に関われましたことは幸せです。
私は著述作で、モータースポーツを通した三菱自動車の軌跡をこれからも綴って参ります。
早速のコメントありがとうございます。三菱のデザイン本部や三菱オートギャラリーの協力をえて
公開にこぎつけました。また、Nakadaさんに送って頂いた資料も役立ちました。感謝しています。いまちょうど、ラリーアートの復活や篠塚さんの殿堂入りなど、良いニュースがある中で、三菱車に関心が集まることを願っています。それから、これからのNakadaさんの記事を楽しみにしています。