1980年代にラリーアート社からの依頼で描いた一連の作品は、当時スポーツをテーマとした絵に使っていた荒いタッチで制作した。車と人物との組み合わせでモータースポーツのドラマチックな雰囲気を表現した。ラリーアート社の近藤昭さんとは公私にわたり親しくさせて頂いた。後年、近藤さんはオーストラリア製のディンギー(小型ヨット)の組み立てキットを購入。私と二人で真夏のガレージで汗だくになって製作に没頭し、葉山の浜辺で多くのご友人を招いて披露した。それは近藤さんが再入院するまでの短くて幸福な時間だった。 横山 明

「ギャランGTO MR」
ギャランGTOは1970年に発売された三菱初のスポーツモデル。国産の2+2クーペで初めてファストバックを採用し、リヤのダックテール、コクピット型のスポーティなダッシュボードなどのデザインが特徴的だった。トップグレードのMRは三菱初のツインキャブレターDOHCエンジンを搭載し、1.6Lエンジンとしては当時トップクラスの125馬力を発生した。

「ランサー1600GSR」
1973年から1977年にかけて三菱はランサー1600GSRで、サファリラリーで2回総合優勝、サザンクロスラリーで3回総合優勝、バンダマラリーでも総合優勝を果たし、その国際的な競争力を示した。ドライバーは、サファリがジョギンダ・シンで、サザンクロスとバンダマがアンドリュー・コーワンであった。こうした成功が元になり、後のランサーターボやランサーエボリューションの開発へと繋がって行くことになる。

「コルト1000F サザンクロスラリー」
コルト1000F 輸出先のオーストラリアの現地テストドライバー、ダグ・スチュアートからの提案で、三菱は1967年のサザンクロスラリーに出場。小排気量クラスでコリン・ボンドが優勝し、出場を提案したスチュアート自身も3位に入賞した。そして、これが三菱にとってのラリー活動の出発点となった。

「コルトフォーミュラ F2B」
三菱は1966年から1971年にかけて、コルトフォーミュラで国内のフォーミュラカーレースを牽引した。望月修、益子治、永松邦臣らは、日本グランプリなどのレースで欧州や豪州のドライバー達と競って優勝を飾り、国際レベルの実力を証明した。