宮川芳晴 ジープ

「三菱 ジープ」
1953年にウイリス社のジープのノックダウンを初めてから2001年までの間約半世紀にわたって生産された車。このジープでの技術の蓄積は、1982年に発売された初代パジェロの技術的なバックボーンとなり、その後の三菱の4WD技術へと発展していった。

宮川芳晴 三菱500

「三菱500」
1960年に発売された三菱初の本格量産乗用車。元航空機のエンジニアたちと、初めて乗用車デザインを手掛けたデザイナーたちの手によって生まれた。販売は振るわなかったものの、1950年代の欧州乗用車に見られるほのぼのとしたスタイルは特徴的だった。

宮川芳晴コルトギャラン

「コルトギャラン」
三菱自動車の技術とデザインが花開き、初めて商業的に大きな成功を収めた乗用車。三菱車のデザインアイデンティティがこの車で生まれた。

宮川芳晴 ギャランクーペFTO

「ギャランクーペFTO」
コルトギャランハードトップを元にホイールベースと全長を切り詰め、大衆車クラスを狙った個性的コンパクトスポーツクーペ。

宮川芳晴ランサーGSR

「ランサー1600GSR」
1970年代に、国際ラリーでの活躍で三菱自動車の名前と技術力を世界に印象付けた車。

宮川芳晴モンテロ

「三菱モンテロ」
1982年誕生の初代パジェロは、翌年北米で三菱モンテロとダッジ・レイダーとして登場。北米ではシボレーS-10ブレイザーやフォードブロンコⅡなどの小型SUVが広まった時期であった。

宮川芳晴エクリプス

「エクリプス」
三菱自動車とクライスラーがアメリカの現地生産合弁会社ダイヤモンドスターモータース社で生産したスポーツクーペ。クライスラーではプリマス・レーザー、イーグル・タロンとして販売。この時、両社は最も蜜月関係にあった。

「三菱3000GT」
1990年に登場し、主に北米市場を狙った上級スポーツクーペ。フルタイム4WD、アクティブエアロシステム等のハイテク装備を特徴とした。国内ではGTO、クライスラーではダッジ・スティルスの名で販売された。

「2代目パジェロ」
2代目パジェロは、初代の成功を受けて技術とデザインでさらに進化して1991年に登場。国内のRVブームの中で普通車を抜いて国内新車月間販売台数1位を獲得し、更にはダカールラリーで欧州車勢を抑えて勝利するなどし、パジェロは三菱自動車のビジネスとイメージの両方で中心的存在となった。1991年の第12回日本カーオブザイヤーでは特別賞を受賞し、専門家からの評価も得ることになった。

宮川芳晴 初代ギャランシグマ

「ギャラン∑」
1976年に登場し初代ギャランンを超えるヒット作となったシグマは、セダンでありながらそれまでにないシャープでスタイリッシュなデザインで人気を博した。三菱のカーデザインを代表する車といえるだろう。描かれた車はツインキャブレターで高性能のGSR仕様。

「ジュピター・ジュニア」
戦後の復興を経て経済の飛躍が始まった1960年代には小型トラックの需要が急増した。その市場はすでにトヨタ、日産に占められていたが、三菱はその頃好調であった一クラス上の中型トラック、ジュピターの技術を活かしてジュピター・ジュニアを水島製作所で開発・生産し、1963年に発売。吊り目のヘッドランプやラップアラウンドしたウインドシールドなど、当時のアメリカ車に見られる要素を取り入れた個性的デザインは、嘱託デザイナーの金子徳次郎氏によるもの。

初代デボネア

「デボネア」
1964年に発売された三菱初の高級車。戦後初めて三菱500を世に出し、引き続いてコルト1000を開発しているさなかに始まった高級車の開発はそうとう急なステップアップであり、社内では計画を疑問視する声もあった。当時デザイン部門はまだ未熟だったことから、アメリカから招聘したハンス・ブレッツナー氏に全てのデザインを任せることでアメリカンテイストのデザインが誕生した。日本初のパールホワイト塗装、西陣織のシート生地、6気筒ツインキャブレターの高性能エンジンなど、贅を尽くした一仕様のみで販売され、発売直後の東京オリンピックでは聖火リレーの先導車として注目を集めた。

「みずしまTM3C」
戦後の三菱重工の出発点は1947年発売のこの三輪トラックだった。岡山県の元軍用機工場で、後に三菱自動車の社長となる久保富夫氏をリーダーとして元航空機エンジニア達が開発。この分野で先行するダイハツやマツダはオートバイに荷台を付けた三輪車だったが、そこから一歩進んでウインドシールドと幌の屋根を装備したのが特長であった。荷台が爆撃機用のジュラルミンの在庫の残りを活用して作られていたのは三菱重工ならでは。

三菱レオ

「レオ」
1957年に登場したダイハツミゼットの爆発的なヒット刺激され、新三菱重工は1959年にレオを発売。同じ年にマツダもK360を発売してダイハツ、マツダ、三菱が軽3輪市場で競い合った。(レオのデザインは嘱託デザイナーの金子徳次郎によるもので、一方のマツダK360は外部デザイナーの小杉二郎のデザインだった。)しかし、1960
年をピークに軽3輪市場は減少し、より機能的かつ乗用車的な軽4輪へと市場ニーズは変化。三菱も1961年には軽4輪の三菱360を発売し、レオは1962年に販売を終えた。

コルト1000

「コルト 1000」
コルト1000は三菱初の4ドアセダン。4気筒OHVのエンジンは当時世界最高レベルのリッター当たり52.2馬力を発生し、1964年の日本グランプリではクラス優勝するなど、優れた性能であった。しかし競合他車に比べてデザインが保守的かつ控えめで市場での人気はふるわず、前後デザインの変更やエンジン排気量のアップなど様々な梃入れが積極的に行われたが不振を挽回することはできなかった。その後この劣勢を巻き返すべくコルト・ギャランが開発されることになる。

ギャラン GTO

「ギャラン GTO MR」
ギャランGTOは1970年に発売された三菱初のスポーツモデル。国産の2+2クーペとして初めてファストバックを採用し、リヤのダックテール、コクピット型のスポーティなダッシュボードなどのデザインが特徴的だった。ドアパネルは先に発売されたギャラン・ハードトップと共通だったが、サイドウインドウは、当時事業提携の始まったクライスラー社からの助言で曲率の大きな50インチを採用し、強いタンブルホームのスポーティなデザインとなった。トップグレードのMRは三菱初のDOHCエンジンを装備し、1.6lエンジンとしては当時トップクラスの
125馬力を発生した。

ミニカ F4

「ミニカ F4」
1972年発売のミニカF4は、排ガス規制に適合するため先代の2ストロークエンジンを止めて4ストロークエンジンを採用。丸みをおびた外観やリヤのガラスハッチなどを特徴とし、先代ミニカ’70の実用性重視のデザインから、より新規性を狙ったデザインへと転換したものの販売は振るわなかった。

スタリオン

「スタリオン」
スタリオンは、実質的にランサー・セレステの後継車で、国内でターボエンジンが認可となる見通しが高まったことから2リッターターボエンジンで世界トップレベルの高性能スポーティカーを目指して開発された。クライスラー社からはコンクエストの名で販売。アメリカのネルソン・レッジズ24時間耐久レースでスタリオンは、1984年から
4年連続優勝するなど数多くのレースで勝利を収め、その性能を証明した。先進的で個性的な内外デザインは現在でも根強いファンがいる。

シグマ ハードトップ

「ギャラン・シグマ・ハードトップ」
5代目ギャラン・シグマをベースとした4ドアハードトップセダン。1980年代当時、国内の上級セダンはアメリカ車に影響を受けたハードトップスタイルが流行し、スポーティでラクシャリーな雰囲気を売りとしていた。イラストの特徴的なホイールは、ラリーアート社製でデザイン事務所「エリプスガイド」の江口倫郎によるデザイン。