1990年から1994年までのラリーアートのカレンダー用に描いた作品です。当時は透明水彩、アクリルガッシュ、エアーブラシ、サインペン等、様々な画材を使い、色々と試行錯誤していた事を思い出します。私にとって、この仕事に出会えたことは幸運でした。   黒木 博 

「篠塚建次郎のギャランVR-4 ポルトガルラリー/1989」
ポルトガルラリーは、歴史的文化遺産や美しい海岸で知られる観光地マトジニョスを中心に開催される。毎年多くの観客が集まり熱狂的な盛り上がりをみせるラリーである。1989年の優勝は当時圧倒的な強さのランチア・デルタ・インテグラーレだった。篠塚はこの前年、ギャランVR-4で三菱として5年ぶりのWRC復帰を果たすと共に、アジア・パシフィック選手権で初代チャンピオンとなるなど活躍した。

「ペンティ・アイリッカラのギャランVR-4 RACラリー/1989」
2台のトヨタセリカGT4を抑えて優勝したペンティ・アイリッカラのギャランVR-4。RACとはイギリスの王立自動車クラブで、このラリーの始まりは1932年にさかのぼる。雨の多いウェールズ地方のぬかるんだグラベルロードは、アイリッカラの様な北欧の選手が得意とするコースだ。

アリ・バタネンのVR-4モンテカルロラリー1990

「アリ・バタネンのギャランVR-4 モンテカルロラリー/1990」
モンテカルロラリーの始まりは1911年で、世界最古の国際自動車レースのひとつだ。モナコをスタートしてアルプスの峠道を駆け巡るコースで、真冬の1月に行われ、路面のコンディションが多様なことから、車の性能以上に選手の腕がものを言う。この時期アリ・バタネンは三菱のエースドライバーだった。

「パトリック・トジャックのギャランVR-4 アイボリーコーストラリー/1990」
アイボリーコーストラリーは、1台も完走車が無い年もあったほど過酷なラリーで知られている。地元コートジボワール在住のフランス人、パトリック・トジャックは、1990年このラリーでアウディ90クワトロとルノー・サンクGTターボを抑え、自身初めての総合優勝を達成した。

ケネス・エリクソンのVR-4

「ケネス・エリクソンのギャランVR-4 アクロポリスラリー/1991」
パルテノン神殿の脇からスタートするアクロポリスラリーは、コースに硬く鋭い石が多くタイヤに過酷なことで知られ、日本人の間では「悪路ポリスラリー」と呼ばれていたという。この年の優勝は、当時常勝のランチア・デルタインテグラーレだった。しかしこのシーズン、トヨタ・セリカGT-FOURがモンテカルロラリー史上初めて欧州車以外での優勝をするなどし、トヨタ、スバル、三菱の日本勢が猛追をしていた。

「篠塚建次郎のギャランVR-4 アイボリーコーストラリー/1991」
篠塚建次郎はこのラリーで日本人として初めてのWRC総合優勝をかざった。2位には前年優勝のチームメイト、トジャックが入り、VR-4は前年に続いてアウディ90クワトロを抑えて勝利した。篠塚は翌年もこのラリーで優勝し、ギャランVR-4はWRCで通算6勝をあげている。

「ユベール・オリオールのパジェロ・プロトタイプ」
1992年ダカールラリーで、パジェロはユベール・オリオール、アーウィン・ウェーバー、篠塚建次郎が1-2-3フィニッシュ。1985年の初優勝以来しばらく振りの総合優勝であった。

「篠塚建次郎のパジェロ・プロトタイプ」
1992年ダカールラリーで3位に入賞した篠塚建次郎のパジェロ。当初は生産車ベースであったダカールラリーのパジェロだが、その後戦闘力を上げるためにプロトタイプ化し、外観でパジェロと分かる要素は次第に少なくなる。

ブルーノ・ザビーのパジェロプロトタイプ ダカールラリー1993

「ブルーノ・ザビーのパジェロ・プロトタイプ」
1993年ダカールラリーで2台のシトロエンZXを抑えて総合優勝したブルーノ・サビーのパジェロ。三菱にとって2年連続の勝利で通算3勝目だった。

「ジャン-ピエール・フォントネのパジェロ・プロトタイプ」
1993年ダカールラリーで12位に入ったフォントネのパジェロ。フォントネは5年後のダカールラリーで総合優勝を果たしている。

ケネス・エリクソンのランサーEVO-Ⅰモンテカルロラリー1993

「ケネス・エリクソンのランサー・エボリューション モンテカルロラリー/1993」
1993年からの車両規定変更に合わせて、三菱はギャランVR-4に替えてランサー・エボリューションを新たに投入。初戦のモンテカルロラリーでケネス・エリクソンは4位、アーミン・シュワルツは6位に入った。優勝はトヨタ・セリカGT-FOUR、2位、3位はフォード・エスコートRSであった。

「アーミン・シュワルツのランサー・エボリューション アクロポリスラリー/1993」
3位に入賞したアーミン・シュワルツのランサー・エボリューション。優勝はフォード・エスコートRSであった。後に、ランサー・エボリューションは次々と進化を遂げ、エボリューションⅣ、Ⅴ、Ⅵを駆るトミ・マキネンは、1996年から4年連続でWRCチャンピオンとなり、三菱は1998年に初めてのマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得することになる。