2019年に安城市歴史博物館で開催された「懐かしの車写生大会」で三菱自動車から提供を受けたこのコルト600コンバーチブルをスケッチしました。ダーマトグラフの黒と透明水彩絵の具で描いています。この大会は、旧車愛好者の皆さんに手弁当で提供していただいた車を一般に展示し、小学生以下のお子さん達に写生してもらうイベントです。 石井 成久
「コルト600コンバーチブル」
1962年の第9回全日本自動車ショーに参考出品されたショーモデル。この車そのものはレプリカで、コルト600の車体にミニカ・ダンガンのコンポーネントを組み合わせてコンバーチブル化したもの。1989年に三菱オートギャラリーが開館した際に、ギャラリー館長の沖信一氏の発案で製作された。元々RRの車にFF車を組み合わせたことからエンジンルームは空である。自動車雑誌に取り上げられたり、JA共済のCMに登場した他、国内・欧州各地で展示された。生産に至らなかった車がこうして日の目を見る事は意義深い
私が三菱を定年退職した際、モデルカー作りの達人からミニカーを作って頂いたお礼として差し上げた絵です。ドローイングペンと水彩絵の具で描きました。 石井 成久
「ランサーエボリューションⅡとランサー1600GSR」
1993年ポルトガルラリーで5位に入賞したケネス・エリクソンのランサーエボリューションⅡ(前)と1974年サファリラリーで優勝したジョギンダ・シンのランサー1600GSR(後)
42年間お世話になった三菱自動車を退社後、三菱オートギャラリーを訪れてスケッチした絵です。これらの車は、私が生まれる前から子供の頃に開発された個性ある車たちで、入社後のデザイン開発の参考にしたものです。作品は、全て葉書大で現場でドローイングペンや鉛筆で一気にスケッチし、透明水彩絵の具で彩色しました。
「1946 SILVER PIGON」
終戦直後に三菱重工名古屋製作所の再建の出発点となったスクーター。米国製のスクーターを参考にして開発され1946年に製造を開始。18年間に46万台が販売された。富士重工のラビットと共に当時の皇太子に献上された。名前は平和のシンボル、鳩から付けられた
「MIZUSHIMA TM3C」
戦時中軍用機を生産していた水島製作所で、戦後まもなく開発、生産を始めたのが「みずしま」だった。航空機用金属の在庫が残っていたことから、空冷1気筒744ccのエンジンの一部にはアルミ合金、荷箱にはジュラルミンが使われていたのがユニークだった。1962年までの15年間の総生産台数は約9万台で、戦後の復興期の輸送を支えた
「みずしまTM3C エンジン」
「LEO」
レオは、急成長していた軽三輪市場に1959年に登場。水島製作所で開発、生産され、軽3輪車で初めての密閉式キャビンを特長としたが、先行するダイハツ・ミゼット等に比べて遅い参入であった。発売後しばらくしてこの市場は軽4輪車が取って代わり、1962年には生産を終了。3年間で約28,000台を販売。後継は軽4輪の三菱360になる
「MITSUBISHI 500」
「COLT 600」
三菱500を元に各部を大幅に改良してテコ入れしたコルト600。デザインは三菱500のヨーロッパ調からアメリカ調に変更された