「三菱500と百式司令部偵察機」
三菱500は三菱が初めて量産した乗用車。航空機作りの実績を基に「国民車」を目指して1959年に誕生した。その開発では日本初の自動車の風洞試験も行われた。百式司令部偵察機は元三菱自動車社長の久保富夫氏が戦時中に設計したものである。 (三菱500誕生30周年記念木版画 1989年制作) 牧田哲明
「マカオグランプリの三菱500 」
三菱は1962年のマカオグランプリで初めて海外のレースに挑戦。三菱500は750cc以下のクラスで1位から4位までを独占した。この勝利は三菱車の優れた技術力を海外に知らせるきっかけとなった。(「三菱500オーナーズクラブ」記念木版画 1995年制作) 牧田哲明
「悪路への疾走」
1973年に誕生した三菱ランサーは、その年にオーストラリアで開催された第8回サザンクロスラリーで、ランサー1600GSR が1位から4位までを独占するという素晴らしいデビューを飾った。ここからランサーのラリーの歴史は始まる。優勝したアンドリュー・コーワンはその後も長く活躍し、三菱のラリーチームの代表となった。(1984年ラリーアートカレンダー 木版画) 牧田哲明
「サファリラリー 1974」
1974年、アフリカ・ケニアで開催されたサファリ・ラリーでWRC(世界ラリー選手権)デビューウインを飾ったランサー1600GSR。当時のサファリ・ラリーは現在のWRCの4倍、6,000kmもの総走行距離を5日間で走るという過酷なもので「カーブレイカー ラリー」の異名をとる。
「ギャラリーに囲まれて」
1982年フィンランドで開催された1000湖ラリーに出場したランサーEX2000ターボ。ドライバーは地元のペンティ・アイリッカラで3位入賞。森と湖に囲まれたこのラリーはWRCにおいて超高速イベントの一つで、地元ドライバーが強さを発揮するラリーとして有名。(1984年ラリーアートカレンダー 木版画) 牧田哲明
「森林を駆ける」
1982年のロンバードRACラリーに出場したスエーデン人、アンデルス・クーランのランサーEX2000ターボ。ランサー1600GSRに代わって前年から登場したランサーEX2000ターボは、大きな成果をあげることなくこのラリーが最終戦となった。その後、三菱はスタリオン4WDの開発へと進むことになる。 (1984年ラリーアートカレンダー 木版画) 牧田哲明
「初出場のパジェロ」
1983年の第5回ダカールラリーで、パジェロは初出場にして4WD市販車無改造部門で1位と2位を獲得。プロトタイプ車とも互角に戦い、総合でも11位・14位に入り、ベストチーム賞も受賞。発売直後の無名の車に世界の目が注がれた。(油彩画20号 )牧田哲明
「パジェロNo.191とMU-2」
1984年 第6回ダカールラリー の市販車改造クラスで1-2フィニッシュを達成したパジェロ。ゼッケン191は優勝したアンドリュー・コーワンがドライブ。 (1984年ラリーアートカレンダー油彩画20号) 牧田哲明
「パジェロNo.192ユベール・リガル」
1984年 ダカールラリーでアンドリュー・コーワンに次いでクラス2位に入賞したユベール・リガルのパジェロ。 (1984年ラリーアートカレンダー油彩画20号) 牧田哲明
「ニコル・メトロとパジェロNo.247」
女性ドライバーと現地住民との交流風景。1984年 第6回パリ ダカールラリーで プライベート女性チームのニコル・メトロ(フランス)は2.3Lディーゼルターボエンジン搭載のパジェロで、市販車無改造クラスに挑戦。同クラスとマラソンクラス、そして女性クラスで優勝して三冠を達成した。 (1984年ラリーアートカレンダー油彩画20号) 牧田哲明
「パジェロNo.191アンドリュー・コーワン」
1984年ダカールラリーで総合3位、市販車改造クラスクラス優勝したアンドリュー・コーワンの駆るパジェロ。 (1984年ラリーアートカレンダー油彩画20号) 牧田哲明
「中継地のNo.191」
1984年のダカールラリーは、完走率が約35%となる過酷なコース設定の大会であったが、パジェロは走破性と耐久性を見事に実証した。(1984年ラリーアートカレンダー油彩画20号) 牧田哲明