SSWコンセプトを実現した乗用車

 

樫澤 一也

―― SSW(スーパースペースワゴン

ミラージュのようなFF2ボックス車は、乗用空間と荷物空間を一体化するというアイデアで、空間活用の自由度を増しました。ライフスタイルが多様化する社会背景の中、ユーザーが次に期待することは、さらに大きく、使い方に自由度のある空間を作り出す新しいアイデアです。その期待に応える一つの回答がシャリオです。1ボックス商用車のような立ち気味の運転姿勢をとり、エンジンと運転席の距離を詰めると、ミラージュサイズの車でも3列シート配置が可能な空間を作り出すことができます。極端に短いエンジンルームと背の高い大きな乗用空間を組み合わせた1.5ボックスと言えるレイアウトです。

学生時代からこのようなレイアウトに興味を持ち、新しいジャンルの自動車を研究していた増谷隆明さんは、2代目デリカのコンセプトモデルとして、この考え方を提案したことがありました。残念ながらデリカには採用されませんでしたが、何か未来的な匂いを漂わせるそのモデルは、説明を受けた久保社長の琴線に触れるところがあったようです。世界の動向を注視しながら、久保社長は次世代乗用車の可能性を模索されていたのではないでしょうか。正式な開発コードはありませんでしたが、研究継続が指示されました。

2代目デリカのコンセプトモデル

増谷氏が提案した2代目デリカのセミキャブオーバーレイアウトのコンセプトモデル

それを受けて、横山慎二さん、大島雅夫さん指導の下、増谷隆明さんと私が外観デザイン担当となり、スタイリングスタディが始まりました。1977年夏のことです。私たちは、先述のコンセプトモデルをベースに先進的イメージを重視した案と、やや現実的に製品化を意識した案を作成しました。イメージ重視案の、ボンネット先端からルーフ先端までを折れ目なく結び、全体を“1つのかたまり”とするアイデアは秀逸で、背が高く乗用空間が極めて大きい、見たことのないプロポーションの乗用車でした。この車は社内で“SSW(スーパースペースワゴン)”と呼ばれました。

SSWのテープドローイング

初代シャリオクレイモデル

先進的イメージのデザイン案。ミラーを利用して左右2案のデザインを検討

製品化を意識したデザイン案

―― ミラージュベースの正式プロジェクト

ほどなくこの先行的開発は、ミラージュをベースにしたプロジェクトとして正式に展開することになりました。スペース検討用のシーティングバックを見た時の印象は、シートは3列確保したものの、3列目はよほど足の短い人か愛犬くらいしか乗れない、というものでした。後日、シーティングバックを見学に来たクライスラー社の役員が3列目シートから降りる時、前席のシートスライドレールにズボンを引っ掛け、かぎ裂きを作るという騒ぎがありましたが、体の大きな外国人にはかなり狭かったに違いありません。

一方、運転席の着座姿勢は特徴的で、通常のセダンとは大いに違い、教室の椅子に姿勢よく座っている感じでした。目の位置が高いので、前後左右の視界は極めて良好です。普通のセダンを見下ろすような独特の感覚は、某ファミリーカーの有名なCMではありませんが、“隣の車が小さく見えます”でした。さらに1ボックス車のように運転席に上がり込むという感じではなく、セダンのようにもぐり込むのでもなく、大変乗り降りし易いものでした。乗用車の新しい形として十分市場性があると感じました。

初代ミラージュをベースとした最初のモデル

―― スタイリングの考え方

限定された寸法の中で空間を確保しようとすると、必然的に直方体に近くなります。スタイリング的には平面形状で前後を絞り込みたいところですが、何しろ全高が高いので、やりすぎると安定感が出ません。ここは程々にして乗用空間の確保を優先し、釜池光夫さん取りまとめのインテリアチームに、使い勝手の良いアイデアを盛り込んでもらうことにしました。

サイドビューではコンセプトモデルの“1つのかたまり“をイメージして、ノーズ先端からルーフ先端までを一つのカーブとするスケッチをたくさん描きました。鼻先はスラントノーズとし、ヘッドランプもグリルの傾斜に沿わせた異形ランプを用い、スムーズな空気の流れを意図しました。とは言え、もともと前面投影面積の大きい車なので、空力性能を高めるというより、滑らかに走るイメージを醸し出すことが狙いでした。ガラス面積が大きく単調になりがちなサイドウィンドウ部分は、アルミ調のCピラーガーニッシュをアクセントにしました。

最終的に、”1つのかたまり“の形はコスト面、実用面などで不利な点が多く、実現しませんでしたが、短いボンネットと大きな乗用空間を持つ独特の外観は、新しいコンセプトの表現には十分だと思いました。

―― コンセプトの検証

過去にないコンセプトの新型車を成功させるために、様々な検証が行われました。スタジオエンジニアの協力の下、内外一体モデルを作成し、国内(1978年9月)、北米、およびオーストラリア(1979年5月)でコンシューマサーベイが行なわれました。また第23回東京モーターショー(1979年11月)には7人乗り乗用車タイプを1台、空間活用の多様性をアピールするためタクシー仕様にした1台を展示して反応を確認しました。

国内で行われたコンシューマサーベイ

SSW東京モーターショー

東京モーターショーに出展されたタクシー仕様(左)と乗用車仕様(右)のSSW

検証を進める一方、技術的にはこの時期に新しく開発されたトレディア・コルディアのコンポーネントを使用することが決まり、開発は進んでいました。一連の検証後、そこから得た意見を反映し、新コンポーネントに適合させた、総まとめともいうべきモデルを作成しましたが、この時点でプロジェクトは一時中断となりました。検証の結果は、トップのゴーサインを引き出すには不十分だったようです。

手間のかかるFRPモデル製作作業

トレディアベースに変更された時点での北米仕様のFRPモデル

―― モチベーションの維持

プロジェクトは中断となりましたが、デザイン開発はスタッフを最小限に絞って継続されました。継続メンバーとなった私と増谷さんは、この企画を必ず実現させようと、辛抱強くモチベーションを維持していきました。とにかく私たち自身、本気でこの車が欲しいと思っていたのです。

まず、この車の売りは何か、何が新しい感覚なのかをアピールするとともに自分たちが再確認するため、イラストを満載した企画書を作ることにしました。もともと開発スタート時に、チーム内でのイメージ共有のため企画書を作っていましたが、今回は新車発表会などマスコミ対応を意識した内容とし、先の企画書を大改訂しました。乗降性の良さ、空間効率の良さなど物理的な特徴はもとより、この車と共に実現できる生活の夢をいくつかのシーンにまとめた企画書です。夢を語りながら過ごしたこの時間は、私の三菱自動車生活の中で異彩を放っています。

初代シャリオのスケッチ

―― シャリオ誕生

1981年になって、プロジェクトは再び動き出しましたが、私と増谷さんはメンバーから外れました。この時期にホイールベースが100mm伸ばされ、インテリアチームは大変なリファイン作業を強いられたようですが、外観に特別大きな影響は見られません。細部をリファインした後、ようやく生産工程に移行しました。発表が待たれていたある日、日産自動車からSSWと同様のコンセプトを持つ「プレーリー」が発表されました。シャリオ発表の半年前のことです。歴史に「もし」はありませんが、再スタートがもう少し早ければシャリオは日本で初めてSSWコンセプトを実現した乗用車となったかもしれません。

日産・プレーリー 画像提供:日産自動車

シャリオ (古代ギリシャの戦闘用2輪馬車) は、この響きの良いネーミングで1983年2月に発表されました。軽井沢のホテルで行われたジャーナリストに対する試乗会で、評論家のT氏に「シャリオ」の感想を伺いました。彼はこう言いました。「良くできているね。こういう車が普通に売れるようになった時、日本のモータリゼーションも成熟したと言えるんだよね」

あれから40年経って現状を見るとき、日本のモータリゼーションは彼の言っていた成熟の時代を通りすぎて、すでに終焉に向かっているような気がします。一抹の寂しさとともに、自分は良い時代にデザインをさせてもらったとしみじみ感じます。

初代シャリオのサイドビュー

 2022年1月

 

 


多様なライフスタイルから生まれた多様な室内展開

 

釜池 光夫

―― SSW(スーパースペースワゴン)の発端

私は若い頃からアウトドアが大好きで、学生時代はヨットに没頭し、キャンプやフライフィッシングで山にも良く出かけた。そんな私なので、このシャリオのデザインに関わった1977年当時はシグマのエステートバンを保有し、色々な道具を積んで家族や仲間とあちこちに出かけていた。この車は私自身がインテリアを担当した車で、4ナンバーではあったが、いわゆるバンとは一線を画した乗用車感覚が特徴であった。当時はコンパクトカーかセダンが主流で、まだこうしたワゴンに乗る人は極めて少なかったが、自分のライフスタイルにはぴったりの車であった。

ギャラン シグマ スーパーエステイト

シャリオの始まりは、2代目デリカの開発初期に増谷隆明さんが提案したセミキャブオーバーレイアウトのスケールモデルだった。その後、デリカとは別にそのデザインスタディを乗用車として進める事となった。私が乗っていたシグマエステート以上にゆとりある室内空間と、いざとなれば7人で行動できるという幅広いユーティリティは、私自身がぜひ欲しい車であった。実際、私の家庭は3世代であり、「シグマの次はこれだ」と思った。

エクステリアのメンバーは1/1クレイモデルの製作に取り掛かり、その車体形状を元にシーティングバックを作って、室内空間、着座姿勢、乗降性などの確認を行う事となった。この時、この車はSSW(スーパースペースワゴン)と呼ばれることとなった。

開発当初のシーティングバック

―― シーティングバック製作と検討会

このシーティングバックは、基本計画をスタジオエンジニア、その製作をモデル計画担当の清藤さんが担当した。これは、屋根の高さを調節できる構造で、様々な高さで検討が可能という工夫がされていた。シーティングバックが完成し、我々はこの車の可能性に大いに期待したが、関係部門による評価結果は散々であった。特に、問題となる3列目シートの居住性と乗降性は酷評されてしまった。デリカのように室内高が高ければ比較的小さな開口部からでも楽に乗り降りできるが、ルーフを普通の乗用車より少し高くしたくらいでは十分ではなかったのだ。

最初のシーティングバックの評価は散々であった

―― パッケージドローイングでの検討

シーティングバックの評価は散々であったが、まずは問題点が洗い出された訳である。その後、この車はミラージュのコンポーネントをベースとした正式プロジェクトとして開発することが決まった。商品計画部で基本レイアウトが作成され、それを元にした新しいエクステリアの計画図をベースに、私はチームメイトの猪飼君と実寸大のパッケージドローイングでインテリアの計画に入った。主要な機能部品や乗員、さらにはレジャーや旅行で積載するであろう様々な品物の実寸大型紙を壁面に貼り、様々なシチュエーションでの使い勝手の検討を行った。特に、シートアレンジの可能性は重要なポイントであり、ここからこの車の多用途性が生まれてくる。アメリカのフルサイズバンにある後席へのウォークスルー、回転対座シートやシートのフルフラットなどが実現出来れば今までの乗用車にない幅広い使い方が期待できる。


―― 壁面でのドローイングとCADシステム

この時代は、こうして結構な労力をかけて壁面にドローイングを作り、実物大の型紙などを「あーでもないこーでもない」と動かしながら検討していた。こうした作業は、上下左右に体を使うかなりの重労働であり、翌日に筋肉痛になった事さえあった。一方でこの時期CADが使われ出して、端末モニターでの検討が始まった。CADは拡大、縮小などが自由で実に便利であったが、この頃のモニター画面は小さく、大きな物は実寸での検討が出来ずまだまだ不便であった。しかし、その後の技術進歩はめざましく、大型スクリーンでの実物大の検討が今では当たり前になってしまった。今となっては、壁面の前で動き周り、車のサイズを体で感じながらの当時の作業をなつかしく思う。


――
 最初のインテリアモデル

話が横道に逸れたが、最初に作ったインテリアモデルでは、計器盤はステアリングコラムと一体で、その手前にステアリングホイールがくるという、相当斬新なデザインで、新しいコンセプトの車としてそれまでにないデザインを目指していた。また、シフトレバーはウォークスルーが出来るようにインパネシフトであった。その後、デザインの評価、技術検討をした上でモデルを作り直す作業を何回か繰り返し、約1年後の1978年9月にFRP製の内外一体モデルを製作し、国内で一般人を対象としたサーベイが行われた。

初期のインテリアモデル

―― タクシー仕様を計画

サーベイの結果やそれまでの検討を踏まえて、SSWはミラージュから一クラス上のトレディアベースに変更された。それと同じ時期に我々は東京モーターショーに向けたコンセプトカーのデザインを開始した。特に、これまで計画してきたファミリー仕様に加えて新たにタクシー仕様を計画した。それは、当時の一般的なタクシーよりも600mm近く短いにもかかわらず、室内空間は上下にゆとりがあり、何よりも乗り降りがし易く、荷物スペースもしっかりとあり、SSWは街中が窮屈な日本の理想的なタクシーになると考えたからだ。


SSWのタクシー仕様

タクシー仕様のSSW

1979年10月の東京モーターショーで、SSWは新しいコンセプトの乗用車として発表された。いわば世界初のミニバンコンセプトカーである。(但し、この時代はまだミニバンという言葉はなかった)ユニークなスタイルと広い室内、様々な展開ができる3列シートは注目を集め、特に他社のプロダクトプランナーやデザイナー達がメモを取っていたと会場にいた関係者から聞いた。


―― アウトドアからの発想

さて、このモーターショー前の夏の終わりに、ショーカー作業の合間を縫って私はエクステリア担当の樫澤君、増谷君を含めた8人で尾鷲にキャンプに出かけた。目的は、SSWを念頭において、車を使ったアウトドア体験をするためだ。キャンプ道具、食材、クーラーボックスなど大量の荷物を車に積んでの旅行だが、その中の1台は発売後間もないデリカであった。デリカはさすがにスペースは抜群に広く、こうした場合には最適の車である。しかし、フロアはそれなりに高いので乗り降りは楽々とはいかないし、セダンの様に機敏な運転は出来ない。やはり、デリカとセダンの良い所取りをしたSSWには大きな可能性があると感じた。またこの旅行中に様々な物を車内に収納する工夫も必要だと感じた。私たちはその後もキャンプ、サイクリング、ヨットなど、多様なレジャーを通じてSSWやその後に続く三菱のRV車への発想を生み出した。

 

仲間たちとのキャンプドライブ(左) 2代目デリカ(右)

―― 中断を経てついに実現

モーターショーで注目を浴びたSSWであったが、その後プロジェクトは中断となってしまった。様々なプロジェクトが同時に並行して進む社内にあって、全くの新規プロジェクトは営業部門からの期待度は低く、どうしても優先度が落ちる。しかし、やがて1980年の中頃だったか、プロジェクトは再開され、この時に大脇君がチームに加わり、いよいよ量産に向けた本気のデザインが始まった。

デザインをリファインしたインテリアモデル

シートアレンジは様々な検討をしたが、運転席から後席へのウォークスルーは、欧米人の靴のサイズを考慮すると、この車幅では無理であり、それに伴ってインパネシフトも断念。また、前席回転シートも同様に諦めざるを得なかった。その替わりに、2列目シートのシートバックを反転させることで3列目との対座を実現した。さらにはシートのフルフラットも実現。また、フロントデッキが高いメリットを生かして、助手席のグローブボックスの下にもう一つ大容量の収納ボックスを設けたほか、様々な収納スペースを設けユーティリティを充実させた。計器盤は、室内に開放感生む棚式とし、そこにがっしりとしたメータークラスターを配したシンプル且つ機能的なデザインとした。その棚面に縦溝をアクセントとして配したところが自分としては気に入っている。モーターショーに出品したタクシー仕様は、優れた可能性があったのだが、これを企画として取り上げようという機運が社内に生まれず、はなはだ残念だったと今でも思っている。

スタートから中断を経て6年経った1983年2月、シャリオは発売となった。その後しばらくして私はシャリオを購入。家族や友人とのレジャーに良く使った。開発が始まった1977年当時は団塊の世代の家庭を「ニューファミリー」と呼んでいたが、私のライフスタイルはまさにそれであった。シャリオは、「ニューファミリー」の新しい価値観から生まれた車だと考えている。

ほぼ最終デザインのインテリアモデル

シートアレンジ

2022年2月